ご無沙汰しております。
釜山国際映画祭での仕事が、本日先ほど終わりました。
準備をしてもしても、きりがない感じで、ここ2週間くらいは他のことにほとんど神経回らず。
今も頭が回らず、何から書いていいのかという状態ですが、知り合いからリクエストがあったので、それで書きます。
今回最も力を入れて準備したのが、原一男監督の新作ドキュメンタリー「ニッポン国vs泉南石綿村」。映画祭からは、上映後のGV(観客との対話)の通訳を頼まれていました。大阪・泉南の石綿被害を裁判闘争を中心に追った作品です。
なんせ作品そのものが3時間半という大作で、GVも通常は30分なのが1時間。
18日と20日の2回あって、どっちも通訳を担当しましたが、記憶に新しいというか、さっき終わったばかりの2回目のほうで書きます。
司会進行役は、ビョン・ヨンジュ(변영주)監督。ドキュメンタリー「ナヌムの家」や宮部みゆき原作の「火車」などで知られる女性監督です。
前半は、ビョン・ヨンジュ監督から質問、後半は観客から。
全部書く余裕はないので、かいつまんで。
ビョン監督:
個人的にとってもうれしい気持ちで司会を引き受けました。なぜなら、原監督は、わたしに限らず、多くの韓国のドキュメンタリーの監督たちが最も影響を受けた監督だからです。
タイトルが、カタカナで「ニッポン」となっている理由はなんですか?
原監督:
わたしは日本人ですが、日本に対して嫌いなところもあります。それは権力に対してもありますが、多くの庶民に対してもあります。民衆である日本人のメンタリティーに、そういうことでは世の中良くならないだろう、と批判したい気持ちがある。そういう否定の意味を込めてカタカナにしました。
ビョン監督:
登場人物たちをイラスト付きのプロフィールをつけて紹介したのは?
原監督:
今村昌平監督の「映画とは人間を描くものである」という名言があります。わたしはその名言を受け継いでいこうと思っていますが、人間を描くというのは漠然としている。そこで「感情」という言葉を加えて「人間の感情を描くものである」と考えています。この映画で言うと、裁判だけを追ってもおもしろくない。登場人物の人生を丁寧に描かなければ。アスベストでどういう影響を受けたのか、ということを聞くと同時に、その人にとって人生で何が大きなできごとだったか、聞き出して描く必要があると考えました。
ビョン監督:
原監督はいつも直接カメラを持って作ってきました。これまでの作品との違いは、これまではフィルムだったのが、デジタルになったこと。どんな違いを感じましたか。
原監督:
一番違うのは、フィルムは高いということです。長くしゃべる人だと、どこが大事か判断して撮らないといけないが、判断を間違って大事な部分を逃してしまうことがある。デジタルはテープが安いので、最初から最後まで撮れる。撮り逃すことがなくなった。
ビョン監督:
良かったのは、一つ一つのショットがはっきりしていることです。意味のないショットがない。3時間半という長い時間でも、リズム感が武器になっていると思いました。
わたしからの最後の質問は、映画で死を扱うことについて。わたし自身が、「ナヌムの家」で、撮ってる間もそうですが、撮った後もしばらく、死から抜け出せなかった。原監督の「全身小説家」では予想外の死に直面しますが、今回の作品は亡くなるかもしれない健康状態の人たちを撮る、というのはどういう思いでしたか?
原監督:
泉南でインタビューをする時、1回で終わりとは思っていない。もっと深く、次に聞こうと思って次行ったら亡くなったと言われる。突然亡くなるということが何回も重なって。次から次へと死んでいくのには驚きました。
わたし自身、死を撮らなければと思っています。日本では死を撮ることはタブーとされていて、だからこそ撮らなければと思っています。どんどん亡くなっていくので、その亡くなっていくところを撮らなければと思っていたが、撮れなかった。泉南の人たちは身内の死をプライベートとして、他人に見せたがらない。ましてやカメラなんてとんでもない。了解が取れなかった。大きな課題として残りました。
原監督:
ビョン監督からわたしに質問してほしいことがあるんだけど。たくさんの登場人物の中で、誰に一番心が動くか。
ビョン監督:ではその質問で(笑)
原監督:
見ると必ず泣いてしまう人がいる。韓国から来て、結婚して、でも結婚相手がひどくて苦労して、初めて自分の時間が持てるようになって夜間学校に通う女性。名前が書けるようになって「勉強するっていいね」っていうあのシーンは見るたびに感動します。
ここから観客の質問ですが、力尽きたので明日以降に~(覚えてるかな…)
映画は来年3月公開予定です。ぜひ、ご覧ください