在日の詩人、金時鐘さんのこと | なりあやの韓国シネマ留学記

なりあやの韓国シネマ留学記

2017年、3度目の韓国留学。
ソウルの大学院で映画を勉強します!


昨夜、金時鐘(キム・シジョン)さんと食事をご一緒させていただきました。

ミナミの韓国料理店で、金時鐘さんの回想記「朝鮮と日本に生きる」の出版のお祝いも兼ねて。


2月20日発売ですが、重版が決まったそうです。

おめでとうございます(・∀・)






最初にお会いしたのは昨春。

韓国映画「チスル」の取材でした。

済州島四・三事件を描いた映画です。


金時鐘さんは、1947年に始まったこの大虐殺事件の真っただ中から、日本の猪飼野へ逃れてきた一人です。


回想記を書いてほしいという出版社のたびたびの依頼を断り続けてきたそうです。


なぜ書くことにしたのですか、と問うと、


「関係者の多くが亡くなって、迷惑をかける心配がなくなってきたから」


とおっしゃってました。

驚くほど事細かに覚えていらして、事件の記録としても貴重な書物なのだろうと思います。


事件の当事者として追われる身となって、種芋の穴に潜んでいた、というのはまさにチスルとつながる話。チスルは済州島の方言で、ジャガイモを意味します。


いよいよ済州島を脱出するときのお父さんの言葉、


「たとえ死んでも、ワシの目の届くところでだけは死んでくれるな」


これが最後に交わした言葉となります。

この後、金時鐘さんが済州島に足を踏み入れるのは、半世紀後の1998年です。


壮絶な人生を歩まれた金時鐘さんですが、お会いすると、とっても穏やかで、優しい方です。


そして、けっこうお茶目です。


特に奥さんの話をされる時。


本の中では


「今でも二人だけでいるのが照れくさくてならない、私です」


とあります(´∀`)





サインをいただきました。

未熟な記者に、いつも温かい言葉をくださいます。


カムサハムニダWハート