今の世の中ではたくさんの色々な情報を得ることができる様になりました😌
以前まではテレビや新聞が世の中を知るツールだったものが、インターネットの普及によってそれらが発信していない情報も知ることができるようになりました。
私は今現在たくさんのメディアに出ている感染症の話、薬の話に注目しています。
これらにまつわる様々な情報が飛び交ってます🙁
私の中で「正しいのはどれ?正解はどっち?」とどれが真実なのか、たくさんお情報を集めて答えを求めていた。
でも、リアルな映像や画像が出ていても、CGやサクラでいくらだって作ることができるし、公に発表されている感染者数とか、捏造されているかもしれないし、内部告発をしている情報でさえもでっち上げかもしれない。
結局のところ「実際にその場で、見ていない」からどうしようもないと思った。
でも正解を選んで安心したい。
でも正解はないかもしれない。
もし正解っぽいな。正解だと思ったことを選んで何か良くないことが起こった時、その正解を提示した対象に「責任をとれ!!」と憤りをあらわにする。
でもその選択をしたのは自分の責任である。ってひどいって思われるかもしれないけど、私はそう思う。
世の中に正直な人もいれば、嘘をつく人もいる。突き詰めると、本当に全て正直でいられる人は本当に少ないと思う。
私でさえ、だいぶ減ったけど嘘をつく時もある。
嘘が悪いこととは思っていない。
自分の見栄を守るための嘘、自分の立場を守るための嘘、自分の利益を得るための嘘、人を思いやる為の嘘、人を勇気づけるための嘘。
嘘は自分を安心させるために使っているからだ。
何かしらのメリットがあるからだ。
でも自分の本音には嘘をつかない様に心がけている。
人に嫉妬する気持ちを嫉妬してはいけないと、自分が得したい気持ちは汚い心だから、本当は好きなのに常識的に好きになってはいけないとか、で本音をなかったことにというか、「人として、常識としてだめでしょう」と自分を我慢していい人のフリをしていた私がいる。
「清く正しく美しく」でありたい私ですが、「汚い間違い醜い」私も内在していることがわかった。
陰と陽、光と影、プラスとマイナス、正義と悪、白と黒、上と下、高と低。
この地球ではこの法則が成り立っているのかなと思った。
どれも「正解、不正解」「良い、悪い」はその人それぞれの解釈で、絶対はない。
自分の嫌いを知って、好きがわかるツールとしても使える。
だから、どれもあっても良いのではないかと。
人それぞれの、「本当はどうしたいの?」を把握して選べば、自分の選択に責任を持つことができる。
だから自分で考えて、調べて、行動に移せる。
たとえ良くない結果になったとしても、やらない後悔でモヤモヤして、やって失敗したら、次の行動や可能性が見えてくるから。
今回の記事もそんな思いで書きました。
書いていくうちにドンドン書きたいことが出てきて、脱線してまとまった文章ではないのですが、私の考え、思いを発信したいと思った私の気持ちで、トライアンドエラーでやってみました。
また思ったことを書いていきます。
