最近のシャワータイムに聴いているのは、「うしろゆびさされ組」→「高井麻巳子」→「ゲイリー・ムーア」→「シンディ・ローパー」と移行しています。

 

 

何万回も聴いた泣きのギターで泣いていた多感な頃を思い出します。

 

高専2年生で部活動(サッカー)を退部してからは、遊ぶ金欲しさにアルバイトに明け暮れていました。

 

その頃、両親からお小遣いをもらわなくなりましたが、アルバイトで得たお金を家に入れることはありませんでした。

 

20歳になり就職は茨城県へ。

 

 

25歳の頃、親父は首の手術のためしばらくは働けなくなるとのことで息子3人で仕送り開始。

 

翌年、全快し働けるようになり仕送り不要との話がありましたが、その当時ひとりだけ独身だった自分は仕送りを続けました。

 

その後、タイに出張することが多くなり、タイの方々の肉親を常に想う気持ちに触れ両親に感謝する気持ちが高まりました。

 

そして父親が他界するまで27年仕送りは続きました。

 

 

タイに関わり感謝する気持ちが高まったのと、学生時代に稼いでも遊んでばかりだったので申し訳ないと思ったのでしょうか。

 

そんなことを考えながらシャワーを浴びていました。。。