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ついでに父親にも。



成人するまでしっかり面倒みてもらいありがとうございました。

ちょうど20歳で就職し、実家の鳥取県から就職先の茨城県へ行ったのも今から22年前です。

最初のうち年に1回は実家に帰っていましたが、足が遠のく時期もありました。

そんな折、父親の首の手術があり、会社のリフレッシュ休暇(5連休)を使い実家へ。

病院で寝ている父親(50歳過ぎ)を見て、小さくなったな~と感じたのをよく覚えています。

幸い術後も順調でいつもの父親の調子に戻りました。


そうこうする内、自分は仕事でタイに出張する事となり、一応実家に「出張でタイに2ヶ月行ってくる」けんな~」と連絡しましたね。

日本に無事帰国し「日本に帰ってきたけんな~。」と電話すると。

「何で呼ばんかったの~?二人ともパスポート取って待っとったのに~!」と母親から叱られました。

最初は「????」でしたが、しばらく経ち「ありえない」と思い、その旨を伝えても理解してもらえませんでした。


その後2回、3回とタイ出張を重ね、2年間で8ヶ月タイに滞在した所、羨ましいのか両親二人でタイ・ツアーに申し込んでいました。

そんなお茶目な両親ですが、ボクもタイ駐在となり晴れて両親を呼んだタイミングがソンクラン祭り。

駐在先のコラートまで来てもらい、ビニール・カバー装備のトゥク・トゥクに乗っている所にカバーを開けられ思いっきり水を掛けられる。

その時母親の言った「ば~か~」は今でも耳に残っています。

5年4ヶ月で駐在を終え日本帰国し、タイで生活する事を決意しました。

タイに移動するその前に実家で1ヶ月間ほど過ごしました。

いろいろと連れて行ってもらい、非常にありがたかったのですが36歳になっていたのに親バカ振りを発揮され、知らない人に「この子は親孝行者だ」とハッキリ言われたのは心に残ります。

その後タイへ渡り、9年間付合っていた彼女(両親とも3回ほど会っていました)と別れた、と連絡すると心配もされました。

再就職したのも束の間、1年で退職しドイツにワールドカップを観て来る、と連絡しタイに帰ってくると負けじと「イタリアに行く事にしたけん~!」と対抗意識全開。


再々就職し、結婚相手も紹介し、無事結婚。
安心して死なれるのが恐く「(まだ生まれて無いですが)ワシの子供が成人するまで生きてな!」とバンコクの公園で3人きりのときに告白。

毎年正月には日本帰国しますが、いつまでも元気でいてください。





最後に父親に言いたいのは、気軽に嫁の親戚に「日本に遊びに来てください」と手紙を書書かないでください。(父親はボクがタイ駐在になる12年前からタイ語を勉強して読み書き可能です。話す事は困難ですが…。)
最後に費用を払うのはボクですから…。
もう少しそういう甲斐性が出来る状態になってから誘ってあげてください。



※少し追加しました。(11/May/2010)