vol.16
東京生活4日目。
インスタント食品生活4日目でも
あります。
腹具合が怪しかったので
野菜ジュースを飲みながら書いてます。
さて昨日は
気が弱いのでやさしくしてください
道徳無理でした。論理性がない。
というお話を書かせていただきましたが、
それについて質問をいただきましたので
解答をさせて頂きます。
北海道在中、
「いじっかしい」さんからの
お手紙です。
私は道徳も論理的だと思います。
あなたは道徳の優位性を支える共感に
自分の論理がないがしろにされる感覚に
耐えられなかったのではないでしょうか。
またあなたは
人の話を正確に受け取って論理を立て直す力と
気の弱さに挟まれて苛まれていたように思います。
お便り有難うございます。
私にとっては難しい質問ですが
なんとか解答させていただきます。
>私は道徳も論理的だと思います。
私も道徳に論理性が一切ないとか
そういったことは考えていません。
ただ私は当時の教育は
小学生の良心を地にして、
他科目では当然あるべき完全に順序立てられた説明を
省略していたように感じます。
例を出すなら
「Aちゃんがひとりぼっちで寂しそうにお弁当を食べています。
誰も構ってくれません。
何とかしてあげたいB君。
どうしてあげるべきでしょう?」
こんな感じに道徳の教科書は書いてあったように思います。
一切の良心がない状態でこの文章を読むと、
ひとりぼっちでご飯を食べると何故寂しいのでしょうか?
なぜなんとかしてあげないといけないのでしょう?
等々。。。
説明されるべき文言が
抜けていたように思えます。
ただこれは当時の私の記憶の中の話なので、
正直に申し上げると実際にあった授業とは
違うものであった可能性があります。
無理矢理そういう認識をしている可能性も否定できません。
ただ私はそのように感じたという話です。
>あなたは道徳の優位性を支える共感によって
>自分の論理がないがしろにされる感覚に
>耐えられなかったのではないでしょうか。
はい。その節は往々にあります。
道徳の授業で私は反社会的な発言をしていた記憶はありません。
苦虫を噛みしめた気持ちで、
周りと変わらないような発言をしていたように思います。
自分の気持ちに正直に行動することはできなかったです。
>またあなたは
>人の話を正確に受け取って論理を立て直す力と
>気の弱さに挟まれて苛まれていたように思います。
ここまで回答させていただいて、
その通りではないのかという疑念も沸きつつあります。
事実として確実にあるのは、
・道徳が嫌いだった。
・気が弱くてケンカに良く負けていた。
この2点です。


