vol.15

 

東京出張3日目。

そろそろ地元が恋しくなってきたころ。。。

 

 

先程、大学時代の友人と会って

食事をしてきました。

 

 

いろいろあったようですが、

元気に生きていました。

何よりです。

 

 

今日は【過去の清算】を書きます。

小学生の時の話です

 

 

-------

 

小学生のころ、

私は2つのことで躓きました。

 

 

 

 

まず

小学生になった私が

一番困ったのは

明らかに暴力性の高い生徒が

いることでした。

 

 

 

 

 

ケンカです。

とにかく泣かされていた記憶しかない。

 

 

ケンカになるといつも泣かされて、

親や先生に助けてもらっていたように思います。

気の弱い子供でした。

そして長い時間引きずります。

 

 

今も気が弱いです。

気の弱さについては小学生から

全く成長しませんでした。

 

 

脅す、怒鳴る、責める、叱る等の暴力を行使されると

とても落ち込みます。

 

 

 

 

 

社会においてそれが皆無ということは

ありえないのですが....

 

 

当人にとっては

「ちょっと」という感覚だったとしても

キツイのです。

 

 

 

 

 

 

まず始めは暴力やめてくれよんというお話し。

もう1つは道徳が無理だったという話です。

 

 

 

 

 

 

一番嫌いな授業が道徳でした。

というのも意味が分からなかったんです。

 

 

算数の教科書、授業は

このように教えてくれました。

 

 

「AはBになってCになるよね?実際にやってみよう。

 じゃあ今後はAはCって覚えよう」

 

 

そこには順序立てられた論理がありました。

重要科目にはそれがあったので勉強は苦ではなかった。

 

 

私にとって

道徳の教科書、授業はこうでした。

 

 

「AはC」

 

???

 

 

本当にこのように見えたのです。

意味が分かりませんでした。

 

 

 

これは社会に出てから気づいたことなのですが、

道徳や倫理というものは共感を

根底に価値が作られています。

 

 

そこには「AがBだからCになる」のような論理、

普遍性の証明は基本的に存在しません。

 

 

道徳は大多数の人にとっては

「そうであってあたり前。分からないやつはおかしい」

なのです。

 

 

私は分からなかった。

私はA→B→Cのように説明されないと分からないという特性を持っていた。

そして共感も弱かった。

道徳は最悪の相性でした。

 

 

小学生6年生の私に

当時隣のクラスの担任だった

先生が言った言葉は今でも覚えています。

 

 

「翼は何でも損得で考えるね」

 

 

何ひとつ道徳の授業は

私の身にはならなかったようです。

 

 

しかしこの頃の私は小学生、

道徳観念が弱くても長男の私は

大切に庇護され育ちました。

特に生き辛さもなかった。

 

 

ただこの頃から

反社会的思考の萌芽は

あったのでしょう。

 

 

その後、大嫌いだった道徳に

自分が苦しめられるなんて思わなかった小学生時代です。

おわり。