仁連木城主戸田宣光は今川方に属していたが、
今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれると、
宣光の跡を継ぎ仁連木城主となっていた
戸田重貞は徳川家康に従った。
その後、11代150年以上にわたり松本城主を務め、
信濃松本藩最後の藩主で
戸田松平家の松平光則(みつひさ) によって、
戸田宣光公墓碑が仁連木戸田家の領地である
ここ岩崎の地に建てられたという。
石碑には「丹波入道惟馨全香墳跡」の碑銘と
宣光の略歴を記してある。
戸田宣光公墓碑所到着です。
薮の先・森の中です。手入れされなくなってしまったのか
県道4号線(多米街道)を東へ2㎞程彷徨い、
多米東町辺りから右手の山を目指して
田園風景を徘徊していきます。(^-^)
多米の山々です。
左端が赤岩山・右手方向が三河富士です。
赤岩尾根です。右へ尾根分岐・豊橋自然歩道出合い方向です。
左手に神石山です。
畑地の中に小薮の森があります。
此所が戸田宣光公墓碑の建立された場所と
ナビが示していますが、
薮+竹藪に被われて墓碑も石垣も何も見えません。(>_<)
さぁ横手へ回り込みました。
何処から攻めましょうか
正面・中央突破です。
藪漕ぎ彷徨い中へと進むと
石垣が薮まみれの中から僅かに現れました。
大木がある左横が僅かに開いているような
竹藪の中へと突っ込むと墓碑が鎮座しておわしました。(-_-;)
中央に何やら入り込めそうな隙間が見えます。
藪漕ぎ前進すると
竹藪の奥に墓碑らしきものが見えて来ました。
耳元でブンブ~ンと煩いヤブ蚊・ブヨを払いのけながら、
御城主にお目通りして直ぐ退散いたしました。
もぅ少し手入れされたら如何なものかと思いながら、
辺りの山景色をパチリご帰還です。(^_^)
やっとお目にかかれました。
戸田宣光公墓碑です。
濃い竹藪の中に鎮座です。
「丹波入道惟馨全香墳跡」と碑銘が記されています。
さぁ外界へ戻りましょう。
ヒゲ爺彷徨い・本日分終了です。
金曜日は奥三河川合の柿平駅裏手より
獅子岩(H475m)へ徘徊登山・
愛知県民の森のシャクナゲ尾根へ
下る周回はせずUターン下山します。
熱中症予防&膝保護のためです。(*^_^*)