ここはかつて東洋一の兵器工場とも称された
豊川海軍工廠があった場所で、
昭和20(1945)年8月7日の空襲で
二千五百人以上が犠牲となるなど、
悲しい歴史を刻んだ場所でもあります。
公園内には歴史の生き証人である海軍工廠の火薬庫や
信管置場などの戦争遺跡や海軍工廠の歴史などを紹介する
平和交流館があります。
空襲後の豊川海軍工廠(正門付近)です。
豊川海軍工廠平和公園Map
公園内彷徨い1
豊川市平和交流館:豊川海軍工廠の歴史や戦争遺跡の解説展示、
ボランティアによる工廠の語り継ぎ活動を行っています。
豊川海軍工廠平和公園に到着しました。
旧第一火薬庫&旧第三信管置場案内ガイド30分、
10:00・11:00迄に交流会館受付前に集合申込。
豊川市平和交流館です。
10時からのボランティアガイドに申込み、
9:45から15分間工廠空襲経緯のビデオを見て
予備知識を入れてから現地見学となります。(^_-)
15分程空襲のビデオを見ます。
先ずは駐車場に設置してある
案内板の内容からガイドに入ります。
公園内全体のあらましをガイド戴き、
古墳の様な土塁の様な
旧第一火薬庫へと向かいます。(^-^)
旧第一火薬庫(豊川市指定史跡):
豊川海軍工廠当時の建物で、
火薬の保管に使用された施設です。
建物の構造体に土をかぶせいているため、
小山のような外観となっています。
旧第一火薬庫です。
500ポンド爆弾(227㎏)が落ちた跡を見てから
火薬庫の建物内へと入ります。
普段は施錠されていて、
ボランティアガイドの説明を受けないと
建物内部へは入れません。(~o~)
上に見えるのは火薬庫室内天井の換気口煙突です。
下に見えるのは米軍の500ポンド爆弾の着弾跡です。
着弾跡です。もぅ5mずれていれば火薬庫直撃でした。
床下換気口跡です。
ボランティアガイドの青木さんは
昭和7年生まれの87歳で、
とても矍鑠としていらっしゃいます。(^O^)
ボランティアガイドの青木さん87歳(昭和7年生)です。
旧第一火薬庫です。通常は施錠されています。
ボランティアガイドさんが解錠してくれます。それ以外は入れません。
軍用車両横付けのホームは当時の木製そのままです。
内部は床下・天井裏に通気換気口があり、
壁には30㎝程の隙間を設けた二重壁で
室内を一定温度に保つ工夫がされています。
室内は板壁が復元されていました。
3000発の500ポンド爆弾がこの火薬庫に
一発も落ちなかったのは不思議。(^^;)
壁下地はコンクリートで固めてあります。
火薬庫室内の復元木製二重壁(断熱)です。
此所に置いてある錆びた物体は
昭和十四年設置の水道管です(今から80年以上前のものです)。
水道制水弁の蓋です。
奥に見えるのは名古屋大学所有敷地内の
火薬庫跡(Aタイプトンネル)です。
木製ホームの下には信管置場建物のセメント製屋根瓦です。
旧第一火薬庫跡を出て信管置場へ向かいます。
此方は昭和15年生まれ(爺様)の高齢者ご夫妻です
今日はプラブラと徘徊はしません。
ボランティアガイドさんに付いて
しっかりと見学をしていきます。