最近は黙食をしなくちゃいけないらしいけど元から食事中に会話するという文化がないし、マスク会食も同じ理由でない。そんなことを考えつつインターネットサーフィンをしていると、チャタンヤラクーサンクーという言葉を見つけた。空手の形の名前らしく、なんとなく沖縄っぽい。そんなことを考えつつインターネットサーフィンを続行していると、エペジーーンという言葉を発見した。東京オリンピック関係の言葉らしく、フェンシングで使われたみたいだ。うーん、私とは関係ない。

 

 

私は一応最近流行のZ世代に当たるのだけど、だからといって新しい物を知っているわけじゃない。SDGsのこともよく知らないし、第一誰も取り残さないって無理だから、絶対取り残される人が出てくるし、チキータって言葉に詳しい人がいたとすれば存在すら知らない人もいるように、みんな平等に何かの情報を得ることが出来るわけでも無いのにね。

 

 

NFTアートしてみない、だなんて陽葵が無邪気に言う。確かに私はデジタルでイラストを描くことは得意だけど、そういうよく分からないのと関わりたくないので断る。蓮イラスト上手いじゃん、連にとってのショータイムだよだなんて陽葵は言うけど、そんなの私興味ないし。

 

 

その時マリトッツォ買ってきたよーと、紬が現れる。そういえば紬はピクトグラムを描くのが上手かったと陽葵は言い出し、今度はそっちに勧誘を始める。親ガチャに外れてお金も人間関係にも恵まれていない紬は私と違って乗り気だ。ウマ娘みたいにかわいいイラストを描けたらそりゃあ人気になるだろうけど、紬はそうじゃないから果たしてどうなるんだろうか? 

 

 

ぼったくり男爵みたいにお金第一にならないでよねと言い、私は陽葵と紬から離れる。ゴン攻めやビッタビタなんていう意味の分からない言葉が浮かぶくらい、二人が仲良くしているのは意外だけど、これもお金のためなんだろうな。変異株が流行って今後ワクチンが効くかどうかも分からない今、人とリアルに会わないでできる仕事ができるなら、そっちの方が良いだろうし。

 

 

だけど私はそんな二人の関係に対してうっせぇわと言いたくなる。イカゲームのように二人の関係は元々救いがあるものじゃなかった。スギムライジングのようにパラリンピックという障害福祉に絡んだところで出てきた言葉のように優しさなんか無いし、フェムテックのように今まで抱えていた苦しさを新技術で解消しようって事にあるようなやる気も無い。カエル愛のような愛があるわけでもなく、自宅療養のように切実さがあるだけの関係だったのに。

 

 

陽葵は元々ヤングケアラーで家族の手伝いや介護に振り回されていた、それに対して紬はコロナ禍前から一人でする路上飲みが唯一の楽しみという貧乏な孤独を抱えていた。二人とも人流なんて無縁なところで生きていたのは確かでそこに共通点があるし、今となっては全て過去になっていてしまった事実だ。とはいえそれですぐに関係がよくなるってわけでもない。

 

 

ちょっとサウナ行ってくる、ととのうことしてくるーと、陽葵と紬の二人は出て行ってしまう。あれいつの間に仲良くなったんだったっけ? こうなったらワクチンみたいに重い副反応が出るんじゃないか、そう心配する。まあそんな二人の分からない関係よりも、推し活だ推し活。ジェンダー平等を意識した漫画のキャラクターが好きで、かなり推しているので、そのキャラクターに関する二次創作をPIXIVで探して読みあさる。

 

 

13歳、真夏の大冒険やリアル二刀流に全く興味の無い私は、スポーツをすることが大の苦手で、そのせいでスポーツ系の小説や漫画などを全く読まないほどだ。そこで今年起きたオリンピックやパラリンピックには全く興味が無かった。来年はスポーツ系じゃなくて、小説とかに関する大ブームが来て欲しいな、そんな祈り叶わないんだろうけど。