学生時代に確か宿題か何かで買ってやめた、
それが太宰治の本でした。
改めて読む気になったのは、
出口先生の本の中で
太宰治の話が出てきて
読む視点を教えて頂いたからでした。
太宰治の「思い出」という作品に、
「私はみよを意識しだした。」という部分に、
死を意識する中で
自分の青春時代の思い出、
暗いものが多い中で、瑞々しい逸話を
ロマンティックに表現している、
ただただ自殺未遂や薬物中毒での
苦悩を描くばかりの人ではない、
という教えでした。
で、その「思い出」が収録されている
「晩年」という太宰治の小説集から読みました。
まず、出だしから
「死のうと思っていた。」と書いてあって、
あぁ、やっぱりやめようかなとか思ったり。。。
「魚服記」の「疼痛」とか。。。
確かにここまでユーモアで衝撃的な表現は
圧倒的だなと思います。
それは人間の美しい滅びの表現だそうです。
音楽でも、憂いの歌ばかりではなく
人間の心の闇のようなものを描くアーティストもいます。
サマソニで見たRadiohead、
CDで「KID A」を聴いたときは、
どうしてこんなに暗いのを作ったんだろう、
そして、それが全世界に評価されるのは
どうしてなんだろう、って思いました。
続いて「人間失格」も読みました。
これは相当精神的に追い込まれていることが
沢山書かれているのは知っていたのですが、
それでも、本当に、よくここまで書けるなって。
ヨシ子と結婚する流れの中で、
少しだけ温かい気持ちが描かれていて、、、
正直、親しい人に太宰治を薦めるなら、
その部分だけ読んでって言うかも、です。
その後に商人に、、、とか、
モルヒネが、、、とかは、、、薦められないけど、、、
ただ、その苦悩、滅びの様子を
ただただ言葉だけで表現することがすごいのかなって。
学生時代、自分が読むのをやめたのは、
これを読むことで
自分が壊れてしまうんじゃないかって
薄々、不安があったからかも。
夜中、寝る前とかに
Radioheadの「KID A」が
ランダム再生で流れると怖かったし。
でも、今はそんな不安がなくなりました。
壊れてしまうことを表現することが
素晴らしいことであって、
自分が壊れてしまう必要なんてない。
迷っている時に読む本に、
多く、こんなことが書いてありました。
自分の周りに起こっていることは変えられないけど、
その起きたことに対する感情は自分次第。
自分が知る由もないことに対して、
起きてもいないことを考えてしまうのも自分。
感情は変えられるんじゃないかなって
思うようにしているからだと思います。
これからも、そう思いたいし、そう信じたい。
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