2026年2月27日(金)13時~14時30分、陵墓関係17学協会による佐保山南陵(聖武天皇陵)・同東陵(光明皇后陵)(ともに奈良市)の立入り観察が実施された。

 今回の陵墓は、古墳時代に属する従来の前方後円墳とは異なって、奈良時代のものであり、さらに戦国時代の松永久秀による多聞城の築城に取り込まれて、かなり改変が加えられたと推定されている。また、宮内庁の内規で、古代高塚式墳墓は墳丘の第一段目テラスまでの立入りが許可されているのに対し、奈良時代の陵墓である佐保山南陵は、墳丘を囲む管理上の外構柵より内側は立入りができない「兆域」として設定されている。そのため、同陵は立入り観察要望の第1次リスト(2005年提出)に含まれてきたものの、これまでなかなか立入り観察が許可されず、今回も果たしてどこまで観察できるのか、期待と不安を抱えてのものだった。

 陵墓に隣接する畝傍陵墓監区奈良部事務所前に着くと、意外に多くの報道関係者が詰めかけており、空には報道用ヘリコプターも飛んでいた。奈良時代の実在する天皇の陵墓だからであろうか。定刻となり、清喜裕二陵墓調査官から説明を受けて代表参拝を済ませ、指定された見学ルートへ踏み出した。

 簡単に聖武天皇・光明皇后の陵墓に触れておきたい。『続日本紀』によれば、聖武太上天皇は天平勝宝8年(756)5月乙卯(2日)に亡くなり、壬申(19日)に「奉葬太上天皇於佐保山陵」という。佐保の地は、元正太上天皇や文武夫人(藤原宮子)など、奈良時代の天皇・皇后ら皇族の葬地となっていた。光明皇后も天平宝字4年(760)6月乙丑(7日)に死去して、7月癸卯(28日)に「葬仁正皇太后於大和国添上郡佐保山」とある。ただし、奈良時代の陵墓がどのような形態であったかはよくわかっていない。幕末の『大和国帝陵図』という山陵絵図には、現在宮内庁が管理する「佐保山南陵」の安政2年(1855)頃における様子が描かれており、聖武陵を管理するために東大寺が創建したという眉間寺の背後に、柴垣に囲まれた山陵が存在する。ただし、その山陵には横穴式石室が描かれていて、明らかに古墳時代後期の古墳である。周辺には古墳時代後期から終末期の群集墳が存在することから、同じ地域に奈良時代の陵墓が次々と設けられたものと考えられている。さらに、戦国時代に改変が加えられたとなると、現状の詳細な観察こそが本来の聖武陵に迫る基礎作業として重要である。

 宮内庁から提供された立入りルート図を参照しながら、拝所の横より時計回りに、南陵の西側にある外構柵の外側を歩き始めた。いきなり急な上りとなる(写真1)。時折、外溝柵の合間から中を覗いてみるが、鬱蒼とした木々と急峻な崖が見えるだけで、聖武陵がどこにあるのかはわからなかった。やがて眉間寺が建っていたという平場が見えてきたが、現状では何も無い(写真2)。

【写真1】 南陵西側の外構柵沿いに急な斜面を上る。

 

【写真2】 外構柵の合間から見えた、眉間寺跡とされる平場。

 

 この平場から斜面が北へ伸びており、その上に聖武陵とされている構造物があるのであろう。外構柵はコンクリート製であるが、ヒビが入っていたり破損したりしている(写真3)。

【写真3】 ヒビが入ったり、途中が欠損している外構柵。

 

 やがて、北辺部へ到達して、東へ90度折れて下り坂となった(写真4)。下りきったところが、東陵(光明皇后陵)との境界になっている地点である(写真5)。ここから外構柵の中へ入る。調査官の説明によれば、それぞれの陵墓は独立していて、境界線上は「兆域」となっていないので立入りが許可できるという。この境界線は、多聞城の掘割になっているそうだ。

【写真4】 南陵と東陵の境界地点へ向かって坂を下りる。

 

【写真5】 東陵(光明陵、左側)と南陵(聖武陵、右側)の境界地点(北から南を望む)。

 

 外構柵の中へ入る前に、いったん東陵を上る(写真6)。東陵の北側には平場が広がり、その向こうには民家が建ち並んで、奈良市立若草中学校の敷地につながっている(写真7)。

【写真6】 外構柵沿いに東陵の北側を上る。

 

【写真7】 東陵の北側に広がる平場。奥に見えるのが若草中学校。

 

 外構柵から東陵の中を覗くと、奥の方にマウンドらしきものが確認できた(写真8)。これが光明皇后陵とされているものなのだろうか?

【写真8】 東陵のなかを望遠撮影。奥に見えるマウンドが光明陵か。

 

 東陵の折り返し地点から、南陵との境界点へ戻り、いよいよ外構柵の中へと入った。両側に南陵と東陵の斜面がせり上がるV字谷のようになったところに隘路が伸び(写真9)、所々に瓦や五輪塔の空輪や水輪が転がっていた(写真10・11)。眉間寺の名残であろうか。ここで詳細な解説をしていただいたのが、城郭研究の専門家である永惠裕和氏(兵庫県立考古博物館)である。

【写真9】 南陵(右側)と東陵(左側)の間に伸びる隘路(北から南を望む)。このV字谷は、多聞城の掘割でもある。

 

【写真10】 V字谷に残る瓦。

 

【写真11】 V字谷に残る五輪塔の風輪と空輪。

 

 V字谷は多聞城の掘割であるが(写真9)、その両側の斜面上部には、張り出した部分があちこちに観察でき、それらは多聞城の廓や土塁であるという(写真12~14)。東陵だけでなく、南陵にも縄張りが続いていて、多聞城の一体感が読み取れ、南陵も取り込まれていることがわかり、多聞城築城により、原地形が改変されたことは明らかである。そうであるならば、宮内庁が治定している、現在の聖武陵そのものを観察しない限り、奈良時代の聖武陵の手掛かりは得られない。残念ながら、今回の立入り調査には大きな限界がある。

【写真12】 東陵側の張り出し。

 

【写真13】 南陵側の土塁状遺構。

 

【写真14】 南陵(左側)を南から北に望む。奥に写真13の土塁状遺構の延長が見え、手前には五輪塔の水輪も確認できる。

 

 掘割の隘路を南に抜けて陵外に出た(写真15)。約1時間半の立入り観察であった。待ち受けていた報道陣に対し、代表が取材に応じた。15時から奈良女子大学の教室を借りて、事後検討会と陵墓関係17学協会の2025年度第3回全体会議が行われた。

【写真15】 隘路の南側から陵外に出る。

 

 聖武陵に関する手掛かりは、『続日本紀』の聖武死去記事、『延喜式』の陵墓歴名記載項目、『東大寺要録』などの東大寺関係の記録類、幕末の諸史料であるが、これらを分析しても不分明なことが多い。佐保丘陵に古墳時代後期から終末期に造営された群集墳地域に、奈良時代の諸天皇・皇族の陵墓が造営されたと推定されるが、その形態はよくわかっていない。東大寺は墓守を置いたり眉間寺を建てて聖武陵の管理を行ったが、それも鎌倉時代までらしい。戦国時代には多聞城の築城で聖武陵周辺は改変された。幕末・明治期の修陵で治定されたものが現在、宮内庁が管理する「佐保山南陵(聖武陵)」であるが、実体は古墳時代後期から終末期の古墳である可能性が高い。はたして真の「聖武陵」はどこに存在するのか?
 5世紀の巨大な前方後円墳は、被葬者が誰であるのか定まらないものが多く、奈良時代の天皇・皇族は、葬られた場所が記録に残されていても陵墓の形態が不明である。今回の立入り調査を第一歩として、少なくとも治定されている現「佐保山南陵」を真近で観察することを要望する必要がある。(文責:丸山理)

◇日時:2026年4月23日(木)18:30~20:30

◇会場:奈良市ならまちセンター 会議室2

    奈良市東寺林町38 TEL:0742-27-1151

    近鉄奈良駅より南へ徒歩約10分、猿沢池南側

    https://naramachi-center.jp/gaiyou/

 

◇報告:奥本武裕氏

    「明治前半期の地方官僚と部落問題―田部密をめぐって―」

〈参考文献〉

奥本武裕「明治前半期の地方官僚と部落問題―田部密探索〈1〉―」(奈良県立同和問題関係史料センター『リージョナル』6、2007年)

井岡康時「市制町村制期の奈良県における町村合併についての一考察」(奈良県立同和問題関係史料センター『研究紀要』18、2013年)

原田敬一「治安・衛生・貧民―1886年大阪の「市区改正」―」(『日本近代都市史研究』思文閣出版、1997年)

 

◇参加費:300円

 

☆今後の例会予定

5月例会:2026年5月22日(金)18:30~ 鈴木則子氏

6月例会:2026年6月25日(木)18:30~ 堀田尚寛氏

 

【奈良歴史研究会事務局】

 〒631-8502 奈良市山陵町1500

 奈良大学文学部史学科木下光生研究室気付

 TEL/FAX:0742-41-9527(直通)

 e-mail : kinosita@daibutsu.nara-u.ac.jp

 ブログ:https://ameblo.jp/nararekishikenkyuu

◇日時:2026年3月7日(土)13:00~17:00

◇会場:奈良市ならまちセンター 会議室2

    奈良市東寺林町38 TEL:0742-27-1151

    近鉄奈良駅より南へ徒歩約10分、猿沢池南側

    https://naramachi-center.jp/gaiyou/

 

◇報告

丸山はるひ氏(奈良女子大学)「7世紀後半における皇位継承の変容―天智天皇の「称制」を画期として―」

竹内翼氏(奈良大学)「長屋王家の家政機関―本主比定と融合の実態―」

福本彩乃氏(天理大学)「浦上キリシタン流配事件―北陸3藩を事例に―」

加藤暁氏(奈良大学)「ワイマール期の「旧貴族」」

 

◇参加費:300円

 

☆今後の例会予定

4月例会:2026年4月23日(木)18:30~ 奥本武裕氏

5月例会:2026年5月22日(金)18:30~ 鈴木則子氏

6月例会:2026年6月25日(木)18:30~ 堀田尚寛氏

 

【奈良歴史研究会事務局】

 〒631-8502 奈良市山陵町1500

 奈良大学文学部史学科木下光生研究室気付

 TEL/FAX:0742-41-9527(直通)

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 日本民具学会は2025年12月26日、「博物館法施行規則「博物館の設置及び運営上の望ましい基準の全部を改正する告示案」に対する意見表明」を発表しました。

博物館法施行規則「博物館の設置及び運営上の望ましい基準の全部を改正する告示案」パブリックコメントに対する意見表明

※「博物館の設置及び運営上の望ましい基準の全部を改正する告示案」、およびその概要と新旧対照表については、以下のサイトをご参照ください。

「博物館の設置及び運営上の望ましい基準の全部を改正する告示案」に関するパブリック・コメント(意見公募手続)の実施について|e-Govパブリック・コメント

 

 このかん、奈良歴史研究会も問題視してきた、奈良県立民俗博物館所蔵民具の廃棄処分問題とも関わる深刻な事柄であることから、奈良歴史研究会も賛同団体に加盟いたしました。

 低次元で薄っぺらい歴史観と文化観にもとづく、「不要」な文化財の廃棄が進まぬよう、これからも動向を注視してまいりたいと思います。

【参考】

2024年9月3日付奈良歴史研究会声明「「奈良モデル」による奈良県立民俗博物館所蔵民具の廃棄処分に断固反対する」

【声明】「奈良モデル」による奈良県立民俗博物館所蔵民具の廃棄処分に断固反対する | 奈良歴史研究会ブログ

◇日時:2026年2月27日(金)18:30~20:30

◇会場:奈良市ならまちセンター 会議室2

    奈良市東寺林町38 TEL:0742-27-1151

    近鉄奈良駅より南へ徒歩約10分、猿沢池南側

    https://naramachi-center.jp/gaiyou/

 

◇報告:稲津大和氏

    「鎌倉中期における治天の君権力―公卿議定の検討から―」(仮)

〈参考文献〉

市澤哲「鎌倉後期公家社会の構造と「治天の君」」(『日本史研究』314、1988年、のち『日本中世公家政治史の研究』校倉書房、2011年)

白川哲郎「鎌倉期王朝国家の中央政治機構―公事用途調達を素材とした基礎的考察―」(『日本史研究』347、1991年)

本郷和人「九条道家の執政」(『中世朝廷訴訟の研究』東京大学出版会、1995年)

美川圭「院政をめぐる公卿議定制の展開―在宅諮問・議奏公卿・院評定制―」(『日本史研究』348、1991年、のち『院政の研究』臨川書店、1996年)

 

◇参加費:300円

 

☆今後の例会予定

3月例会:2026年3月7日(土)午後 卒論・修論報告会

4月例会:2026年4月23日(木)18:30~ 奥本武裕氏

5月例会:2026年5月22日(金)18:30~ 鈴木則子氏

 

【奈良歴史研究会事務局】

 〒631-8502 奈良市山陵町1500

 奈良大学文学部史学科木下光生研究室気付

 TEL/FAX:0742-41-9527(直通)

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◇主催:「建国記念の日」に反対する奈良県民集会実行委員会

◇日時:2026年2月11日(水)13:30(開場13:00)~15:30

◇会場:奈良県教育会館 4階大会議室

    奈良市登大路町5-5

    近鉄「奈良」駅下車、1番出口より東へ徒歩約5分

◇講演:今正秀氏(奈良教育大学教授)

    「「建国記念の日」を超えて」

◇参加無料

◇問い合わせ:奈良県教職員組合

       TEL:0742-22-0771

       E-mail : nakyouso@cg8.so-net.ne.jp

 

【奈良歴史研究会事務局】

 〒631-8502 奈良市山陵町1500

 奈良大学文学部史学科木下光生研究室気付

 TEL/FAX:0742-41-9527(直通)

 e-mail : kinosita@daibutsu.nara-u.ac.jp

 ブログ:https://ameblo.jp/nararekishikenkyuu

◇日時:2026年1月29日(木)18:30~20:30

◇会場:奈良市ならまちセンター 会議室2

    奈良市東寺林町38 TEL:0742-27-1151

    近鉄奈良駅より南へ徒歩約10分、猿沢池南側

    https://naramachi-center.jp/gaiyou/

 

◇報告:岡村隆洋氏

    「近世初期大和国における中間層再配置と「兵農分離」」

〈参考文献〉

朝尾直弘「兵農分離をめぐって」(初出1964年、『朝尾直弘著作集』2、岩波書店、2004年)

水本邦彦「初期「村方騒動」と近世村落」(初出1974年、『近世の村社会と国家』東京大学出版会、1987年)

館鼻誠「由緒と相論―大和・大方家文書ノート」(『史苑』59-2、1999年)

https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/records/1461

則竹雄一「文禄四年大和国太閤検地帳の基礎的研究」(『獨協中学校・高校研究紀要』33、2018年)

https://www.dokkyo.ed.jp/bulletin/pdf/review_no33.pdf#page=3

吉川聡編『元奈良町惣年寄清水家資料調査報告書』(奈良文化財研究所、2023年)

https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2025/03/BD01605680.html

 

◇参加費:300円

 

☆今後の例会予定

2月例会:2026年2月27日(金)18:30~ 稲津大和氏

3月例会:2026年3月7日(土)午後 卒論・修論報告会

4月例会:2026年4月23日(木)18:30~ 奥本武裕氏

 

【奈良歴史研究会事務局】

 〒631-8502 奈良市山陵町1500

 奈良大学文学部史学科木下光生研究室気付

 TEL/FAX:0742-41-9527(直通)

 e-mail : kinosita@daibutsu.nara-u.ac.jp

 ブログ:https://ameblo.jp/nararekishikenkyuu

 2025年3月7日(金)12時30分~15時、陵墓関係17学協会による大山古墳(大阪府堺市)の立入り観察が実施された。

 立入り観察に先立ち、10時から、堺市市役所本館5階の記者クラブ横の会議室にて記者会見がおこなわれ、15学協会連名による「「第17回陵墓立入り観察」に際しての意見表明」がなされた。会見に参加したのは、日本考古学協会、京都民科歴史部会、考古学研究会、古代学研究会、中国四国前方後円墳研究会、奈良歴史研究会、日本史研究会、日本歴史学協会、文化財保存全国協議会の9学協会と、産経新聞社(幹事社)、朝日新聞社、NHK、共同通信社、毎日新聞社、読売新聞社などであった。15学協会側から、陵墓の「限定公開」「立入り観察」に関するこれまでの経緯、および本日の大山古墳立入り観察の意義が説明されるとともに、将来に向けて陵墓も文化財として公開の拡充が図られることを目指している旨が表明された。記者側からは、「陵墓の立入りは、陵墓関係17学協会の構成団体だけでなく、他の個別学会でも申請できるのか」「3次にわたる立入り観察希望リストに挙げられた陵墓は、何を基準にしているのか」「墳丘に立入ることの意味とは何か」「何を重点的に観察するのか」「今回の大山古墳立入り観察は、何らかの象徴的意味があるのか」「今後の活動はどのようなものか」といった質問が出された(回答は省略)。

 その後、12時30分、大山古墳前方部拝所横の古市陵墓監区百舌鳥部事務所前に集合し、宮内庁の清喜裕二陵墓調査官による留意事項と日程の説明、および学協会代表による拝所参拝ののち、上空に朝日新聞社の取材ヘリが飛ぶなか、報道陣に見送られながら拝所横から域内に入った。陵墓監区職員からライフジャケットを受け取り、幅約70メートルという第1濠を渡船した(写真1・2)。なおこの渡船作業は、2024年3月1日の誉田御廟山古墳立入り観察でも経験済みである(丸山理「誉田御廟山古墳立ち入り観察報告」『奈良歴史研究』95、2024年)。

写真1 宮内庁の用意したボートにて第1濠を渡る

 

写真2 ボートから前方部に上がる

 

 急峻な墳丘第1斜面を、宮内庁陵墓課が設置してくれた階段で昇り、平坦な第1テラスに立つ(写真3)。足元の感触は、厚く堆積した腐葉土でフワッとしている。何もかもがデカい、というのが率直な感想である。テラスの平坦面も幅広いし、足元に転がる葺石も人頭大のものがゴロゴロしている。ここから時計回りに墳丘を一周する。

写真3 第1テラス

 

 前方部観察のポイントは、測量図からも一見してわかることだが、等高線が奇麗すぎることである。墳丘全体に崩落が見られ(地震説と地すべり説がある)、等高線が乱れているのに前方部正面は崩落が見られず、直線的な等高線となっている。その理由が現場に立って分かった。

 葺石を積み直したと思われる高さ1メートル弱の石積みが諸所に見え、5段にわたって確認できた箇所もあった(写真4・5)。この石積み列が、奇麗な直線として航空レーザー測量図(2012年)に表れているのだ。このことは、徳田誠志氏(前陵墓調査官)も指摘されているように(2018年、飛鳥史学文学講座)、1872(明治5)年に当時の堺県が前方部の埋葬施設を調査してから、1886(明治19)年に宮内省が管理するようになるまでの間に、前方部正面だけが修復されたと考えられている。清喜調査官によれば、残念ながらこの修復に関する資料は、宮内庁には残されていないという。文久の修陵だけでなく、後世の破壊や修復が幾重にも重なり、古墳築造当初の復元はなかなか一筋縄ではいかない。

写真4 前方部の石積み

 

写真5 前方部の石積み

 

 前方部西端コーナーを回りこむと、1段目のテラスから2段目のテラスへ急勾配を上った。しばらくは2段目テラスを進んだので、墳丘の第3斜面を見ることができたが、墳頂部は木々の彼方で確認できない。造り出し部分は、かなり崩れていてデコボコとしていた。それでも濠際には、築造当初と思われる石列が見えていた(写真6)。

写真6 濠際の石列

 

 ここまでで全周の4分の1ほどの距離で、時間的には約1時間が経過した。後円部へ入る。地面が固く感じられ、埴輪片があちこちに見えた(写真7)。腐葉土の堆積が薄いのかもしれない。

写真7 後円部の埴輪片

 

 後円部を歩いていると、植生が前方部とは違ってきたことに気付く。前方部はシラカシが多かったが、後円部はナラやモチノキ、竹林まで出て来た。大山古墳は、明治時代に松・杉・檜・樫・樟などの植林がかなりの本数に及び、松葉好太郎の『陵墓誌』(1925年)に詳細な記載があるという。後に明治神宮の森を造成する参考にもなったと言われている。

 許可をもらって、後円部第1斜面を降りて濠際へ行く。そこには、江戸時代の渡船の係留石が残っていた(写真8・9)。現在は、前方部正面に拝所が設定されているが、江戸時代では後円部が古墳の正面扱いされていたようで、誉田御廟山古墳も後円部濠に橋が架けられていて、そこから墳頂部に立ち入っていたことが『河内名所図会』に描かれている(前掲「誉田御廟山古墳立ち入り観察報告」)。行けども行けども、森の中を彷徨う感じに襲われる。14時40分、東側造り出しを通過した。水際から5世紀の須恵器甕が出土しているとのことで、これが大山古墳築造時期の根拠の一つとなっている(甕は、堺市博物館に常設展示されている)。前方部東端コーナーを回って出発点に着いたのが15時だった。

写真8 江戸時代の渡船係留石

 

写真9 江戸時代の渡船係留石

 

 写真を撮ることは許されているが、測量はできない。こんな巨大な土木事業を5世紀の人々が営んだ技術は、計り知れないものがある。古墳研究における陵墓群の占める位置は大きく、研究対象としての公開は必須である。

 2005年に立入り観察の第1次リストを宮内庁に提出して、その中に含まれていた大山古墳の立入りが、20年を経てようやく実現した。学協会の粘り強い努力と、宮内庁側の対応の賜物である。ある考古学研究者は、懐に故森浩一氏の文庫本を忍ばせていた。まだまだ第一歩であり、引き続き国民共有の文化財として、墳墓であることの制約も含めて公開されることを求めていかなければならない。

 17時から三国ヶ丘駅近くの貸会議室にて、事後検討会をおこなった。最大の古墳として、また陵墓に治定されていても他の前方後円墳と変わりなく、客観的な古墳研究の対象であること、文久の修陵以後、明治時代になっても改変が加えられていること、より詳細な観察が繰り返し行われることで、築造当初の姿の復元が可能になるであろうことなどが議論された。一方で、濠水による墳丘裾の浸食に対する保全整備工事が日程にあがってくることが予測されている。この保全整備工事も、「後世の改変」の一つである。(文責 丸山理)

◇日時:2025年12月12日(金)18:30~20:30

◇会場:奈良市ならまちセンター 会議室4

    奈良市東寺林町38 TEL:0742-27-1151

    近鉄奈良駅より南へ徒歩約10分、猿沢池南側

    https://naramachi-center.jp/gaiyou/

 

◇報告: 出水清之助氏

    「地域懇親会の成立とその論理―明治10年代半ばの兵庫県を中心に―」(仮)

〈参考文献〉

出水清之助「民権政党停滞期における「無形結合」路線の論理と展開」(『史学雑誌』129-12、2020年)

安丸良夫「民衆運動における「近代」」(安丸良夫・深谷克己編『民衆運動』岩波書店、1989年)

松沢裕作「地方自治制と民権運動・民衆運動」(『岩波講座日本歴史』15、岩波書店、2014年)

 

◇参加費:300円

 

☆今後の例会予定

1月例会:2026年1月29日(木)18:30~ 岡村隆洋氏

2月例会:2026年2月27日(金)18:30~ 稲津大和氏

3月例会:2026年3月7日(土)午後 卒論・修論報告会

4月例会:日程調整中 奥本武裕氏

 

【奈良歴史研究会事務局】

 〒631-8502 奈良市山陵町1500

 奈良大学文学部史学科木下光生研究室気付

 TEL/FAX:0742-41-9527(直通)

 e-mail : kinosita@daibutsu.nara-u.ac.jp

 ブログ: https://ameblo.jp/nararekishikenkyuu

◇日時:2025年11月27日(木)18:30~20:30

◇会場:奈良市ならまちセンター 会議室2

    奈良市東寺林町38 TEL:0742-27-1151

    近鉄奈良駅より南へ徒歩約10分、猿沢池南側

    https://naramachi-center.jp/gaiyou/

 

◇報告: 山田淳平氏

    「明治時代の雅楽制度改革と奈良―奈良雅楽練習所への道―(仮)」

〈参考文献〉

山田淳平「近世における奏楽統制」(『近世の楽人集団と雅楽文化』吉川弘文館、2024年)

寺内直子「明治期楽人サバイバル―旧南都方楽家・東家文書から―」

    (『国際文化学研究 神戸大学大学院国際文化学研究科紀要』55、2021年)

    https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/kernel/81012668/

 

◇参加費:300円

 

☆今後の例会予定

12月例会:2025年12月12日(金)18:30~ 出水清之助氏

1月例会:2026年1月29日(木)18:30~ 岡村隆洋氏

2月例会:2026年2月27日(金)18:30~ 稲津大和氏

3月例会:2026年3月7日(土)午後 卒論・修論報告会

4月例会:日程調整中 奥本武裕氏

 

【奈良歴史研究会事務局】

 〒631-8502 奈良市山陵町1500

 奈良大学文学部史学科木下光生研究室気付

 TEL/FAX:0742-41-9527(直通)

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