東大寺ミュージアム (追記あり)三月堂日光・月光菩薩像に想うこと | 奈良大好き主婦日記☕

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鎌倉在住
奈良や仏像が好きで子育て終了と共に学び直し大学院博士課程修了、研究員になりました。
テーマは平安後期仏教美術。

明日香村、山の辺の道等万葉集の故地が好きです。
ライブドアにも書いていました(はなこの仏像大好きブログ)http://naranouchi.blog.jp

 
昨年12月に東大寺を訪れた際、
東大寺ミュージアムで、八角燈篭音声菩薩や三月堂日光・月光菩薩像、それから戒壇堂四天王像にお会いしました
(戒壇堂は修復工事中のため、四天王像は東大寺ミュージアムにいらっしいました)
 
↓東大寺ミュージアム(こちらも何かの工事中でした)

 

 

 八角燈篭火袋羽目板の音声菩薩

東大寺ミュージアムでまず初めにお目にかかるのは、大仏殿前にある八角燈篭の火袋羽目板の音声菩薩のうち東北面の音声菩薩の現物です

 

この菩薩は昭和37年2月21日の夜盗難に遭い、上下の縁と右上方を欠損した状態で翌日にみつかったそうです

 

音声菩薩羽目板(網目部分の欠損が痛々しい)

現物です

大仏殿前の八角燈篭は、この面だけレプリカです

 

良いお顔です

 

 

 

 日光・月光菩薩像

 

つい数年前まで三月堂にいらっしゃったこの2体の像は、

三月堂の修理(シロアリ被害がひどかったらしい)の際に、東大寺ミュージアムにお引越しされました

 

←月光菩薩像、日光菩薩像→

 

元来、日光・月光菩薩像は薬師如来の脇侍として三尊で祀られることが多い像です。

しかし、三月堂では薬師如来像ではなく観音菩薩(不空羂索観音像)の脇に置かれていたことから、客仏ではないか?という議論があったようです

 

また、そもそも日光・月光と呼ぶ根拠はなく梵天・帝釈天であるという見解もありますが、合掌する意味が不明で、また、三月堂の中には大きい乾漆像の梵天・帝釈天がいるため重複してしまいます

 

…ということで、「わからない」というのが実情のようですが、

最近(平成21年)になり、三月堂の八角二重基壇の下壇上面に、日光・月光像2体と戒壇堂四天王像4体、計6体分に適合する痕跡が八角框にあることが公表されたそうです

 

すなわち、この2体は8世紀の段階から不空羂索観音像の眷属として、不空羂索観音像より一段低い位置に戒壇堂四天王像と一緒に立っていた可能性が高まったそうなのです

 

ということは、長い時を越えて

東大寺ミュージアムで日光・月光像と四天王像は再会を果たしたということになります

 

泣ける話です

 

ブルー音符ピンク音符むらさき音符

 

久しぶりに東大寺ミュージアムでじっくりと日光・月光像と対面しましたが、

三月堂の時よりも明るい環境で、しかも近くから観ることが出来たため、2像の「違い」と「疑問」が同時に沸き起こりました

 

それは

 ❶頭部の冠帯の花の位置が違うこと

 ❷衣の花にも違いがあること

 ❸着衣の形状にも違いがあり、枚数にナゾがあることです

 

 

➊頭部の冠帯の花の位置が違うこと

 

2つの像のお顔をじっくり見比べていたところ、頭部の冠帯につけられた花の位置が微妙に違うことに気づきました

 

頭部の写真

←月光、日光→

そっくり!双子みたい

 

 

 

髪際から頭部の冠帯をさらに拡大すると↓

頭帯に着けられたお花の向きが

日光(向かって右)ではほぼ正面に向けて付けられているのに対して、

月光は斜め上方向に付けられています

 

そのため、髪際からお花までの距離は

日光では髪際ギリギリなのに対して、月光では髪際から髪の毛が見えています

 

あらためて、二像の顔を見ると、

image

お花がより正面向きで髪際に近い日光の方がお顔の寸が詰まって見える気がします

 

さらにこのお花の話、体部の衣にも続きます

 

 

❷衣の花にも違いがあること

 

「衣にお花なんてついてましたっけ?」と思われるかもしれませんが、

良く見ると月光菩薩についているのです

 

お花、何処だかわかりますか?

 

 

もう一度同じ写真で、お花の部分を黄色い矢印で示してみました↓

縦に2つお花がついています(オシャレ)

あわせた手の上と下の2か所にお花が見えます

 

 

双子のようにそっくりなお顔の日光・月光菩薩像ですが

月光菩薩像には、頭帯に1つと体部の衣部分に2つ、合計3つのお花のモチーフが体の中心線に沿って縦方向につけられているということになります

 

↓月光像のお花黄色い花は体の中心線に沿って縦に3つ

衣の花のモチーフの下には、結び目が二つ続いています

しかも、一番下は花結び(蝶結び)黄色い花

頭部の冠帯から下半身の花結びまで、縦のラインが強調された像になっていると思いませんか?

 

この縦のラインのモチーフのバランスをとるため、月光菩薩像の頭部冠帯のお花は上を向けられてつけられたと思うのです

 

これに対して、日光菩薩の衣には縦のラインがありません

そのため、頭部冠帯のお花は月光よりも下方の髪際ギリギリのところに、より正面向きにつけられ、2つの像はバランスを保っている

…と、私は現地東大寺ミュージアムで思いました

 

皆さん、どう思われますか?

 

 

❸着衣の形状に違いがあり、ナゾがあること

 

日光・月光像の衣については、「質感あふれる衣のタッチ」とか「二体の装束は細部に至るまで異なっており、大きく波打つ衣の襞が深い陰影をつくる日光像」「流麗な曲線美を見せる腰紐など、変化に富んだデザインを見せる月光像」などと表現され、また両者とも当初は極彩色だったことも指摘されています(『東大寺ミュージアム開館記念特別展 奈良時代の東大寺』図録、2011)

 

 

迂闊なことに、私は日光・月光像の衣について、今まで詳しく見ていなかったことに気づきました

そして今回、それぞれの衣をじっくり観察したところ、両者の違いがわかり面白かったのですが、同時に「ん?この衣、どうなってるの?」と疑問を持ってしまったのです

 

皆さんも考えていただけますか?

or

答えをご存じの方、教えてください

 

 

まずは、月光像から…

 

・月光菩薩像の衣

上に書いたように、月光菩薩像は縦のラインが美しいオシャレな像だと思います

 

これまでこの像は、薄い衣を一枚着ていると思っていました(私だけかもしれませんが)

ところが、よく見ると袖の部分に下着のようなものがのぞいています
 
・1枚目の衣

↓赤い丸に囲まれた部分に下着のようなものが見える

この袖の中から飛び出した下着にみたいなものを辿ると、首のVネックの奥にさらに丸首の衣を着ていることがわかった↓

おそらく、月光さんは、まず最初にこの丸首の衣を下着のように着たのかなと思います

 

 

・2枚目の衣

その上に、2枚目の衣を着ています

これが表面に見えている衣です

↓緑色の矢印で示したところ

この2枚目の衣は、胸上でお花のボタンで留められてVネックを作り、胸下ではお花のついたバンドで留められ、さらにお腹の前では紐で結ばれて、そのまま下へ続いています

袖は、大きく開いています

 

 

・3枚目の衣?

さて、ここからがモンダイなのだ↓

3枚目(とカウントできるのかわからないけど)

2枚目で作られた縦のラインは一番下のリボン結びの上あたりでなぜか消滅し、

その代わり?紫色の矢印で示した右側部分に長い巻きスカート状の衣の端の線が出てくる

これ3枚目なんだろうか?腰から下の巻きスカートなんだろうか?

 

お腹の紐が巻きスカートの始まりとしても、結び目が正面に来ているのがオカシイ(それなら右脇で結ばないとおかしいよね…)

そもそも、お腹の紐の結び目と、その下の花結びの関係はどうなっているの?この紐は何本?

 

これ、わかる方いますか?

 

 

・日光菩薩像の衣

月光菩薩像ですでに混乱していますが、日光菩薩像の衣も難しい

 

・1枚目の衣

日光菩薩像は、丸襟タイプではなくて、着物のように両側から併せるタイプの衣を1枚目に着ておられるようです

↓赤いところ(左右の襟と袖部分)

月光菩薩像と同様に、袖から下着が見えちゃってる感じ?

 

・2枚目の衣

下の緑色の矢印で示した部分に、両側から併せた襟が見えています

袖は月光菩薩像と同様に大きく開いた形です

また、裾には緑色に著色された2枚目の衣が見えています

 

 

・3枚目の衣?

3枚目は、紫色の矢印で示したように2枚目の上に見えますが、
襟の部分は左側だけ表されているので、袈裟状に片方の肩にだけ布を掛けているのかなと思います

左肩にかけられた布は背中を回り、右手の下を通って、左手にたくし上げてかけられている

 

ボリューム感ののある布のようです

 

ところで、左肩にかけられた布は、お腹方向には連続してないよね?

お腹の下に見える3枚目の衣の線は背中を回って集められた衣に見えます

 

ということは、左肩にかけられた布は、折り返されて左腕に長く掛けられているってことになりますね…あってますか?

 

イメージ↓(絵が下手💦)

 

これ、あっているかどうかわかりませんが、東大寺ミュージアムで立ち尽くして観察していたのでした

(東大寺ミュージアムで多大な時間を使ってしまった…)

 

 

 

 耳の形状について

 

上の方で書いたように、須弥壇の痕跡から戒壇堂の四天王像と日光月光菩薩が、不空羂索観音像の眷属として同じ場所にいたことが調査結果から明らかになったことは、感動的な朗報でした

 

でも、この調査結果よりも前から、

戒壇堂四天王像と日光・月光菩薩像、さらに執金剛神像は、同一工房の制作であると考えられていました

 

その根拠の一つに、「耳の形状の同一性」があります

…そんなこと言われても、三月堂と戒壇堂は離れた場所にあるので、直接比較などできないと思っていました(まさか、「耳なし芳一」みたいなことはできないし…)

 
ところが、現在は、東大寺ミュージアムの同じ空間に、四天王像と日光月光が向かい合って立っておられるのです(執金剛神像も来てほしい)
贅沢をいえば、耳の形を比べるために、みんな横一直線に並んで欲しかったのですが、そこまでわがままは言えません
 
耳の形を比べるため、向かい合う像の真ん中に立ち、右→左→右→左→…と目をキョロキョロさせながら比べてみました
 
その結果(あくまでも私の印象に過ぎませんが)、
耳の形は似てる気もするが、そうでもない気もする…という、驚愕のあやふやなものになってしまいました…
これでは、ただの印象論です
 
やはり、正確な計測をして、何がしかの比率を出して(例えば、耳のタテヨコ比とか、耳たぶの厚さや、耳の穴の位置の比率のような…)、客観的な数値を出さなければわからないのではないか?とも思えました
 
でも、私の見た印象では(あくまでも個人的な印象なんですが)、数値化すると違う比率が出るかもしれない汗という危惧も禁じ得ませんでした(つまり、似てないんじゃない?と思ってしまった)
 
 
尊格の違いを越えて、耳だけはみんな共通です
だから耳の形に、仏師の特徴が出やすい
そのため、耳を見れば同一仏師か別の仏師か判定しやすい
…ということだと思いますが、
私の印象では日光月光の耳は縦に長く、戒壇堂四天王像の耳はちょこんと小さかった
 
数年前の私のノートには↓耳の穴の下の部分の狭さが似ているようなことが書いてありますが(有名な先生の講義)、本当にそうなのかな…

 

やや不鮮明ですが、画像も貼ってみます

日光菩薩像の耳↓

 

執金剛神像の耳↓

 

戒壇堂増長天の耳↓(ちょこん…)

 

耳の話について、個人的には納得するところまで達していませんが、
その他の事実から、三月堂の日光・月光像と戒壇堂の四天王像が同じところにいたこと、そして、現在は東大寺ミュージアムで同窓会をしていることを考えるとやっぱり心が温かくなる気がしますハート
 
 
 
 ブルー音符むらさき音符ピンク音符
 
以前にも書いたことがありますが、
私は月光菩薩像に思い出があります
 
それは私が大学1年生だった夏のことです
 
大学のサークルの新歓合宿で東大寺を訪れました
 
その合宿には、3年生のとても魅力的な女性の先輩も参加していました
当時その女性をめぐり、3年生の2人の男性が争っていましたが、その2人の男性も合宿に参加していました
 
私たちが東大寺三月堂に入ると、
女性の先輩は月光菩薩像の前に佇んで、泣いていました
その姿はまるで、「私のために争わないで(竹内まりや風に)」と訴えているようでした
 
これには「当事者である」男性の先輩はさておき、(何の関係もない)1年生の私が大ショックを受けてしまいましたガーン
「なんて大人なんだろう!」(←なんて子どもだったんだろう…)
 
それ以来、三月堂に差し込む柔らかな光に照らされた月光菩薩像の姿を観ると、
その時の光景を思い出したものです
 
でもね、今考えると、その女性の先輩、そんなことはとっくに計算していて、
泣いている姿を敢えて見せて、争う男性たちをわざと翻弄して楽しんでいたのではないか?と思えるのです
 
いわゆる「あざとい」ってやつです
 
何十年も翻弄されていた私ってアホだな…
 
それでも、あの時の三月堂に入る光の柔らかさと月光菩薩像の美しさは心に焼き付き、それ以来、三月堂に入ると月光菩薩像の前で多くの時間を過ごしたものです
 
私は三月堂のやわらかな表情の月光菩薩像にまたお会いしたいです
 
今の東大寺ミュージアムで、完璧な空調管理のもと、シロアリにおびえずにいらっしゃる月光菩薩像もとても好きです
 
でも、三月堂のあの柔らかな光に包まれた月光菩薩像の表情は、今の東大寺ミュージアムではもう見られない、それが時にとてももどかしく想えるのです
 
 

追記(1月11日、午後0時55分)
記事を書いたあと、再び考えてみましたが、
かつての三月堂の「光」は、外からのものではなく、
堂内の明かりだけだったのではないか?という気がしてきました
現在はの三月堂は、窓の障子越しに柔らかな光が差し込んでいます
そこに月光菩薩像はいませんが…

私が記憶する三月堂の月光菩薩像の表情は、
堂内のロウソクや明かりの光線に照らされたものだったかもしれません

どちらにしても、三月堂に安置されていた頃の月光菩薩像の表情は、優しげなものだったように思います




 
画像は以下から採りました
・東大寺ミュージアムの絵ハガキ
・至文堂『日本の美術 天平彫刻』
・東大寺『東大寺ミュージアム開館記念特別展 奈良時代の東大寺』
・奈良国立博物館『光明皇后1250年忌記念 東大寺大仏 天平の至宝』