天照大神
添御県坐神社
葛上神社
大倭神宮
登彌神社
古代以来、大和の国の中に添(そう)郡(ぐん)といわれる郡があり、古代の文書には層富あるいは曽布とも記されましたが、今の奈良市、生駒市や旧生駒 郡、添上郡を含む奈良県北部に当ります。広大な郡で、人口も増加したので後に添上(そえかみ)、添下(そえしも)の両郡にわかれました。当神社のある場所 は添下郡(現在は生駒郡から奈良市に編入)にあたります。 次に県[あがた]とは、律令体制以前の、朝廷の直轄地として設置され、ここは主に皇室に木材や薪を納めていた料地のため「御」の字をつけ御県(みあが た)と言われました。大和には他に高市・葛木・十市・志貴・山辺の五つの県があり、合わせて六御県(むつのみあがた)とも呼ばれました。従って大和の国の 添郡に設置された御県に鎮座する神社という意味になります。
葛上神社
本神社は、建速須佐命を主神として奉斎し、相殿の神は大山咋神、天照大神、三筒男命なり。当社の伝記は散逸、或いは火災に罹り知るに由なしとも、鎮座多くの歳月の経て奈良朝の頃には存在したるものの如し。 大和添上郡鳥見谷一円を代々領有せし、小野の国麿の時桓武延暦十三年山城遷都となり、これに伴い丹州山国の庄に御料木切出職を帯び、その地に移り代々居住するにおよび本殿、和州の領地より本社も亦移されたものなり。 その後、この旧跡に再び神社を造営したるものとして、境内の一隅にある「葛上郷社古跡」と記せる石碑あり、その錆より見て正に数百年前なることは想像に難からず。亦相殿の杣川神社は平城宮造営のため当地杣木谷に渡来した氏神として同地に大山咋神を祭ったものであるが後、本所に移し合祀(年代不詳)したものである。
大倭神宮
「大倭神宮」のついでに「大和国鹿島香取本宮」
もよろしく。
登彌神社 【とみじんじゃ】
式内社として天神地祇二十二柱を奉祀し、木嶋大明神と称されています。2月1日の粥占は奈良市の無形文化財指定の伝統行事。また植付感謝、豊饒祈念祭での御湯神事も有名です。
2024.08.04[追記]
2025.02.01 粥占い 観たい!
往馬大社
2024.11.15[記]
2024.11.15[訪] 琴平神社飛ばす









































































