昨日、書き忘れたのですが、
幼稚園の後輩が結婚したことがニュースになってました。
おめでとう🎉
当時の園長先生は谷口先生でした。決して籠池さんではありません。十一面観音、釈迦如来、愛染明王に見守られ、東塔跡で駆けずり回ってました。
今日は大学入学共通テストの1日目ですね。
受験生が読んでるとは思いませんが、一応、一言。
センター試験の試験官や管理者を何年も経験したんですが、
証拠が残るカンニングは🙅♂️
机に字を書いたり、カンニングペーパーは🙅♂️
証拠が残らないカンニングは🙆♂️
他人の答案見ること🙆♂️
証拠が残らないカンニングは捕まえられないようなマニュアルです👍
ただ明らかに他人の答案を見たのがバレると、試験官が近くを巡回する回数が増えます。
12日は再びチェックを行いました。
1月2日の羽田事故でも、チェックの大切さを学びましたが、本当に大事ですね。
昨日、改めて痛感しました。
まあ、大きなミスを見つけて修正できた、ということです。
それと巷で「地震のせいでインバウンドが減った」と言う人が結構いたのですが、私は否定も肯定もせずにスルーしてきました。
やっと謎が解けました。冷静にインバウンドの割合分布を分析した結果、アジア系が激減していました。
ということは、地震ではなく、台湾総統選挙の影響ですね。
12日は初亥。
亥と言えば、摩利支天!
摩利支天、京都にはあるんですが、奈良では思い浮かびません。
悩んだ結果、、、石にお参り。
Exレイドがあった頃、摩利支天石にケータイを置いて闘いました。
さてこの石、私の祖父(オカンのオトン)が関係した、宝蔵院流槍術に関係する石です。以下、宝蔵院流槍術から引用。
宝蔵院流槍術の祖・宝蔵院覚禅房胤栄は、猿沢の池に映る三日月を突いて鎌槍の操法を発明しました。そして自身が宝蔵院の庭の大石に摩利支天をまつり、武道の上達と槍術成就を祈念し稽古をしました。
摩利支天とは梵語Marici(陽炎・かげろう)を神格化した女神で護身・勝利などを司り、日本では古来より武士の守護神として尊崇されていました。
宝蔵院は興福寺の子院で現在の国立奈良博物館の位置に江戸時代末までありましたが、明治初年、時の大寺であった興福寺も廃仏毀釈の嵐に遭遇し、さらに上知令により上屋は取り壊され敷地は国に没収されてしまいました。そして摩利支天石は廃墟と化した宝蔵院跡地にまつる人もなく、取り残されていました。
この話しを聞いた奈良市高畑菩提町・石崎直司氏の曾祖父で漢方医であった勝蔵氏は、残念に思い自宅に移して供養し、且つ医業の守り神にさせていただきたいと発願されたのです。
なにしろ、動かせば祟るとまで言い伝えられていた大石ことです。大切にご供養したのち台座に乗せ、十数人の作業員がろくろを回して太いロープを引き「まいた、まいた」の掛け声と共に、数日を掛けて500メートルの道のりをようやく石崎家庭園に移すことができました。
しばらく石崎亭で祀られていたのですが、流派の再興よりしばらくして、寄進を打診したところ、快諾頂き、現在の場所に鎮座することになりました。
???
なんで、元あった場所にもどさなかったの?