祭りの話に入る前に、少々おかたい話にお付き合いください。

そもそも国栖(くず)という名が出てきたのは、記紀からです。

神武天皇が吉野巡幸されたときに、名を問われ、石押分の子と答えたのが、国栖の先祖にあたります。

応神天皇は、十九年十月一日に吉野においでになった際、国栖の民は、醴酒を天皇に奉り、「かしのふに、よくすをつくり、よくすに、かめるおほみき、うまらに、きこしもちをせ、まろがち」と歌を詠んだとされています。

さらに、日本書紀には、国栖の人は素朴で、山の木の実を食べ、カエルを煮て上等の食物(もみ)としている。栗、茸、鮎などが取れる、とも記されています。
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それだけ古い場所なのです。

ですから、このお祭りも天武天皇以来五五〇年余り続いていたのですが、戦乱で一時途絶えていましたが、再開し現在に至っています。

ところで、こんなのを頂いたのですが、これは御朱印と言って良いのでしょうか?
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ちなみに神官は談山神社の方がされていました。

(つづきます)