「できない理由を教える/押しつける大人」に教員は最もなってはいけない立場にある。
じつは新学力観(21世紀型学力)の根幹を成す(そして教員への評価の新たな根幹となる)キーコンピテンシーは、「できない理由を教える/押しつける」から最も遠くにある評価のあり方だ。
コンピテンシーを日本語でうまく表現するのは語学力からも専門知識からも私には困難だが、間違いを恐れずに簡略にいえば、「優れていると認められる人たちに備わっている行動特性」のことだ。
アメリカでは人事評価に一般的に用いられているらしいが、教育でそのようには使われないだろう。コンピテンシーを育成・涵養することが目的であるからだし、コンピテンシーを発揮する場面が教科教育の中には(知識構成型ジグソー法などの考え方や学び方を他者との対話を通じて学ぶような教育方法を除く)ないからだ。特に高校では部活や行事などの特別活動以外にコンピテンシーを育成・涵養する場は無い。
私は、コンピテンシー育成・涵養には(従来型の教科教育でも)、必ず自分のマインドセットや教員を当然含む他者のマインドセットをメタ認知する態度とスキルの訓練が組み合わせられている必要があると考えて、実践している。
メタ認知する態度とスキルがなければ、自分がどんな考え方や捉え方のスキームに囲まれているのかすらわからない。それではどんなに優れた技術や知識を持っていても、他者(考え方や捉え方を含む)の「奴隷」となってしまう結果となるし、社会やコミュニティをより良く継続させていくこともできない。
それはすなわち、教育が目の前の個人に対しても社会に対しても意味を持たないことに他ならない。https://www.facebook.com/tsutomu.uematsu/posts/1101466006598782