お久しぶりの更新です。

 ここ数年、ICT活用や21世紀型スキル、アクティブラーニング、ディープ・アクティブラーニングなどの新たなツール、方法、理念を自分自身の教育活動に取り入れてきました。

 自分自身、ICT機器やツールでこれまでできなかったことができるようになったり、これまで知りあえなかった人たちと知り合いになったり、なによりも生徒たちが熱心に取り組んできくれたり、これまで向上できなかった態度や能力が向上できるようになったりしていることに、すごく楽しい思いでいっぱいです!

 ですが、その中で、しだいに不安感が膨らんできました。

 不安というのは、たとえば・・・こんな「イノベーター」がいたとして・・・


 学校で「イノベーター人材育成!」を目標に掲げたときに、下に書いたみたいにカリキュラムがデザインされ、そのもとに学習活動がデザインされていくわけです。

 1、「イノベーター」(育成すべき人物像)の定義
 2、その人物像をどんな学習方法や学習コンテンツ(国語とか数学とかの授業の組み合わせをイメージするとわかりやすいかも)を組み合わせると育成が可能になるのか計画する(これがカリキュラムデザイン ざっくりですが)
 3、育成がどう「できているのか」図るための評価基準と評価方法を考える(ルーブリックの作成)
 4、ルーブリックで評価する
 5、その評価を生徒個人にフィードバック、教師や教科、学校全体でも評価からカリキュラムや学習活動デザインがうまく機能しているのかどうか把握
 6、うまくいっていればOK,行ってないところは改善(PDCAサイクル)

 それで、わたしの不安というのは、こんな感じで「イノベーター育成できましたっ!」ってちょっと胡散臭いという感じ。
 
 「この方法で、こうやったらイノベーター育成できます!」「イノベーターってこういう人です!」「きみはそういう人になれた、だからイノベーターバッジあげるね!」「イノベーターを育成できた先生にも、イノベーターコーチバッジあげるね!」

 ね、胡散臭いでしょ。(うちの学校でこれをやっているわけではありません)


 ICT活用や21世紀型スキル、アクティブラーニング、ディープ・アクティブラーニングに関しても、同様の心配や不安を感じています。
 「ICT活用や21世紀型スキル、アクティブラーニング、ディープ・アクティブラーニング」ってこういうもので、こんな態度や能力が育成できるもの、と「定義」して、そのための学習プロセスのモデルが提示され、定義づけされた態度や能力がはたして涵養や向上ができたのか測るルーブリックが作られ、みんなでそれに基づいてやっていく。
 
 それは、とても大事。定義づけも必要、学習プロセスモデルも必要、ルーブリックももちろん必要。それらがなければ、PDCAが回らないし、そうした「スキーム」を相対化して改善していくこともできないので。

 でも、もしかしたら、「バッジをあげる」みたいなことになるかもしれない。「バッジをもらうためにそういった学習を作る人や、学ぶ生徒」が生まれるかもしれない。「正解を求めて、得られたらそれでおしまい」みたいなやり方です。
 それは、「高度化複雑化した社会でしなやかに生きる力」や「定まった解のない課題に果敢に取り組む態度」や「問いを見つけて解決していく態度と力」や「ひとりでは解決できないような課題に他者と協同して取り組む態度」などなどが必要だとされ、そのために生み出されてきた新たな学力観である、「ICT活用や21世紀型スキル、アクティブラーニング、ディープ・アクティブラーニング」の在り様と反するやり方です。
 知らず知らずのうちにそうなることがあるのではないか?それが、ここ数年取り組んできた自分自身をメタ認知して不安に思うことです。




 そうならないように気を付けようと、思っています。

 
 さて、先日、総務省の「ICTドリームスクール事業」の成果報告会で報告してきました。


 うちの学校では、ICTを活用した2つの「アクティブラーニング」に取り組んできました。
 「ハイブリッド」がコンセプト。
 1つめは、教育用SNS[ednity」と協同学習ツールの「school Takt」のハイブリッド、
 2つめは、遠く離れた中学校と高校を「school Takt」で結ぶ、遠距離間・異年齢間での協同学習です。PDCAで次年度さらに改善して取り組みたいと考えています。