中学2年生の短歌の授業。アクティブラーニングっぽいのをやってます。

中2であつかうのは「近代の短歌」で、うちの学校の教科書に載っているのは、石川啄木、斎藤茂吉、若山牧水、与謝野晶子。

それに限らなくてもよいのですが、まずはとっかかりとして石川啄木の短歌を取りあげます。



 これはキツツキ(啄木鳥) ※この画像含めて以下画像はPixabayより



やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに





ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく



 「ふるさとの~」の短歌については、アクティブラーニングのための「知識(インストラクション)」として、啄木の経歴や当時の時代背景を簡単に紹介。
 また、「短歌の鑑賞って、何をすること?」という問いから、これまでの自分たちの学習をふり返り、小グループで話し合って「鑑賞という学習活動の具体化」を行い、(いろいろほんとにたくさん出てきましたが)、「風景・光景のイメージ化の際に五感がどうはたらいているかを加えてイメージを具体化する」「読み込まれている心情を具体化する」のおおきく2つの方法をとることを共有した上で、「句切れ」の学習と組み合わせて・・・

 「ふるさとの訛りなつかし」で切れる、二句切れ。なぜかというとここまでが心情で,この後が行為だから。とし、で、「どんな気持ちが読まれてるの?」と問いかけ、まずは個人で考えて、その後、グループで個人の考えをシェアし、融合、改善、改変、発展、あるいは誰かの意見の採用を経て発表という流れを取りました。


その際の板書


中2の授業としては、「故郷を遠く離れて東京で暮らす若者が望郷の思いが募って、ついには東北からの上京者が多数乗降する上野駅に足を運んだ(で、望郷の念にあふれるこころをなぐさめた)」ぐらいでおわりでよいとされているのですが、まぁ、そんなはずはなく(;^_^A


板書にあるとおり、「故郷から遠く離れた都会で孤立感を深める若者のつらさ・さびしさ」は、共通で理解しておこう!でも、それで「だから上野駅に故郷の訛りを聴きに行く」では不十分だから、そこは自分でオリジナルに考えてみよう!ヒントは(聴きたくない人は聴かないでねぇ)、「人ごみ」「聴きにゆく」です。

というかんじで進めました。どんな考えが、どんな根拠から出てくるのか楽しみです。また、個人の考えをグループでシェアしてどうなるのか?他の人の考えを聞いてどうなるのか?そのあたりの化学反応的なところにも関心があります。

「根拠と化学反応」、言葉の知識や読む力に支えられた読解力、表現力と、パフォーマンスの様子が結果を招来するので、言語能力の向上とアクティブラーニングのコラボかな?


種明かし(ただし、私の解釈なので「正解」ではありません)

 上野駅の雑踏の中で方言を聴いても、この若者の望郷の思いはなぐさめられない。なぜなら、この若者は「人ごみ」という、この若者という〈わたし〉とは関係性を持たない不特定多数の中で故郷のことばを聴こうとしているからだ。そこには、故郷の人と「つながり」を得て、望郷の思いをなぐさめようとするポジティブさはない。ただ、消極的に、ざっとの中で故郷のことばを聴きたいと感じているだけだ。都会でもこりつし、その孤立感をいやしたいと行動に出るが、この若者の行動は他者との関係を結ぶことを想定していない。孤立から逃れようとする行動が、しかし孤立したままであろうとする、この若者の心のありようの救われなさが、読む者自身の望郷のノスタルジーを引き起こすとともに、都会の雑踏の中で孤立しそれをどうすることもできない切なさを感じ取らせるのである。

 みたいな感じかなぁ。この読みをもうちょっとかみ砕いてあとで生徒たちに示してみていろいろと議論できたら面白そうです。