昨日は1日バスケ!


 朝早く集合して、和歌山へ。
 和歌山の中学校にお世話になって、一日中バスケ!
 男女ともに、長距離移動して慣れない場所、はじめての相手とゲームします。
 こういう経験を積んでようやく、いつでも自分たちの練習を活かした自分たちのバスケができるようになります。
 また、バスでの過ごし方や、他校の施設の使い方、相手チームへの態度(相手チームがいなければゲームはできないですし、体育館がなければさらに何もできないわけですし)、など実体験で学ぶことはたくさんあります。
 時どき相手チームの選手のファールなどに「ナイスファール!」とか、「ラッキー」とか選手個人やチームではやすようなチームがあります。
 私は相手チームへの感謝と敬意を払うという観点からそうしたことはさせません。
感謝と敬意は、全力でゲームをすることでもあります。相手チームも練習ゲームを通じて成長しようとしているからです。




ある日の新聞では、中高での部活動指導の過負担の問題が取り上げられ、三菱の国産機MRJの開発話が大きく取り上げられています。




 それらを並べて思うのは、教員の仕事って数値化された評価や実体化される成果ってとてもしにくいし、出て来にくいということです。




 個人的に、学習活動のエビデンスを明確に出していくこと、それが現状と近未来予測(予測できない未来を生きる力や態度をどう育成・涵養するのかも含め)とリンクすること。また、教育でのさまざまな理念や実践を踏まえることに取り組んではいるものの、やはり数値化も文章化も実体的な成果も出しにくい所がたくさんありますし、エビデンス化すると誤解を生じかねないと思われることもあります。
 以前、毎日新聞社に生徒の皆さんとうかがって、とても印象に残ったのは、私たちはよりよい社会、住みやすい社会を維持したり改めたりする役割を果たす、という支局の方の言葉でした。
 
 教員もまた、目の前の一人一人の生徒の皆さんがよりよい人生を歩めるような「手伝い」をする存在であり、それがよりよい社会、世界の維持や再構築と深く関わっていると思います。
 だから大学入学者では成果は測れないし、部活動の戦績でも測れません。そういった数値がどう生徒の皆さんの人生を豊かにすることと不可分であるのか、社会や世界にどう貢献しているのかで、評価されてはじめて教育の評価となり得ます。
 部活動の過負担の問題も、部活動指導をすることが、どう生徒の皆さんの人生を豊かにすること等を阻害するのか?といった観点から分析する必要があります。
 私は、部活動に取り組む側に立ちますが、上記のように、部活動に否定的な方であっても、その方の教科指導や生活指導などの働きかけが社会の現状分析と将来への展望に基づいて生徒の皆さんの人生を豊かにするのであれば、リスペクトします。