小山田古墳 2015.1.18
先日の産経新聞に、奈良県明日香村の小山田古墳(7世紀)の発見3年を受けて記事が載っていました。小山田古墳は1辺約70mの巨大な方墳です。
発見当初から、舒明天皇初葬墓説と蘇我蝦夷の(生前)墓説が浮上していました。
今回の記事は、三重大教授の小澤毅さんの「蝦夷説」に基づいた内容でした。
そういえば後に古墳を裏付ける痕跡が見つかり、当初の小山田「遺跡」から小山田「古墳」に呼称が変わったのも、なかなかインパクトがありました。
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今日のもう1枚
記事(左下)によりますと、天皇の初葬墓であっても破壊された例はない。乙巳の変で自害に追いやられた蝦夷の墓だから破壊されたと考察されています。
また、甘樫丘一帯(左上、右上)は、蘇我氏系の陵墓が築かれています。でも舒明天皇は血筋の上では蘇我家ではありません。位置的にも蝦夷の大陵だろうと。
一方、舒明天皇の初葬墓説の根拠は、古墳の築造時期と、改装された桜井市の段ノ塚古墳と構造(室生安山岩の板石を階段状に積んでいる。右下)が似ている点です。
どれもホウホウ、成程ねェって感じです。
さァ、真実は如何に。