仏教には、人生観として強烈な一句があります。
「生もまた苦である(jāti pi dukkhā)」
――SN56.11
この言葉だけを取れば、「生まれない方がよい」という反出生主義に近づきます。
一方で、仏教はこうも説きます。
「人間として生まれることは得難い」
――AN8.29
教義の内部では、人間生は「解脱(げだつ)に向かえる足場」として貴重な機会だと位置づけられています。したがって、仏教をそのまま「反出生主義」と断定することはできません。
中間結論
仏教には「人間として生まれることは得難い」と書かれているので、教義上は反出生主義ではありません。
しかしそこには輪廻転生が前提としてあります。そのため、輪廻を保留する立場では「生きること=苦である」という強烈さが前面に出て、反出生主義的な読みを強める可能性があります。
なお、輪廻を前提に修行する立場では、「人間生は得難い」は解脱への希少な機会として大きな励ましになります。ここで述べた「輪廻保留」は、その立場を否定する意図ではなく、私自身の現在地の整理にすぎません。
それでも仏教が最後に置く焦点
仏教は「生=苦」で止まりません。
苦は滅しうると続きます(SN56.11)。
仏教の処方箋は「生ませない」ことではありません。
「苦の連鎖を終わらせる」ことにあります。
おわりに
輪廻は、私にはまだ信じ切ることも、否定し切ることもできません。
そして苦は手強く、減らしたと思えばまた増えます。その実感の中で、仏教の「苦は滅しうる」を、いったん希望として保留しています。
またブッダは、輪廻を確信できない立場にも通じる語り方をしています。
「来世があるとしても、善く生きることは損にならない。
来世がないとしても、善く生きれば現世で安らかである。」
――MN60
最後までお読みくださり、有難うございました。
生きとし生けるものが幸せでありますように🌱