菩提心の無さや統合失調症の影響もあって瞑想の習慣化が難しく、瞑想を苦痛に感じてしまうが、それは仕方がないし、そのことで苦しむ必要はない。

瞑想する縁がないだけかもしれないし、いつまでも嘆く必要はない。

 

喉元過ぎれば熱さを忘れる

苦があれば瞑想し苦がなければ煩悩と遊ぶ

今はあまり仏教をやる理由がないかもしれない

実践している皆、凄いと思うけれど、自分は自分の道を歩いてもいいんじゃないかと思う。

自分を責めない。

 

瞑想の習慣化

出来なかったのは結果であり、結果に対して深刻にならないで、今ここから気づいていく。

楽に!

 

まだ瞑想をつらいものだと思っている?

瞑想続けていない現状を因果応報で見る。

ダラダラしたい楽したいと思って苦しくなっていく現実。

 

瞑想なかなかできないのは何故?

瞑想を怖がっている?

心の散乱

意欲が湧かない

心の乱れが第1歩を困難にしている

 

よき縁には出来るだけ触れていきたい。回数大事。

 

チャルーンサティと呼吸瞑想、その時に応じて使い分ける。

 

苦しい、瞑想どころではない。ちょっと待って。瞑想やってみれば楽になれるかも、5分でもやってみたらどう?

無理せず楽に!

 

日常生活に瞑想が生きてきているか?

 

1510分からやっている。

家の中にいると心に波がないので、出かけられる時は外でも実践してみる。

 

手動瞑想と呼吸瞑想を少しやっている。

心がさまよいがちになるのを、しっかりと今ここに戻ってくる。

これは訓練だと思う。

 

娯楽は余計な体力精神力も消費するし、心を今ここから離れさせるから、ほどほどにしたいところです。

娯楽への過集中、気づきの欠如。

 

手動瞑想以外に今ここに戻る手段として、アナパナなどの呼吸瞑想を活用したい。

サマタとしてだけではなく、呼吸に気づけば今ここに気づくヴィパッサナーにもなると思う。

 

カチカチと「今」を刻む時計の秒針のようなものが「手動瞑想」であると理解しています

 

朝起きて今日1日のことを考えると、気が散ってしまっていたけど、呼吸瞑想と手動瞑想を車の中で5~10分位やって、心は今ここに落ち着いた。

 

今ここに避難するという表現でいいのかわかりませんが、今ここは平安だなと思いました。

 

気づきと考えることは混在できない。

それでも考えてしまうのは、瞑想よりも考えることは刺激であり煩悩を満たしてくれるものだから。

だからひたすらに思考に気づいては今ここに戻る。

 

ゲームすると疲れたり、時間を無駄にしてしまったり、今ここから離れてしまったりするから、最近はゲームをしていない。

ゲームも刺激。

時間ができたり精神的余裕ができると煩悩と遊ぶ。

自分は刺激中毒てす。

依存症の根本的な治療を仏教の中でどう実践していけば、良いのでしょうか?

刺激依存をどうにかしようとすることは、ハードルが高いことなのでしょうか?

人は無刺激では生きていけないのだろうか?狂ってしまうのだろうか?

でも刺激を得ることで保っている心身のバランスもあるから、刺激依存と言えど一概には否定出来ません。

 

疲れている時は少しばかり休憩をとって、瞑想をすればいいのか、それとも疲れに気づいて観察した方がいいのか?

 

手動瞑想で心地よくなったことがある人は、私だけではなくいらっしゃるようですが、

5Cからの覚醒状態の時に様々な映像が見えてくることがあります。どのように対処を?

 

思考力の衰えは瞑想で回復するだろうか?

 

特に瞑想をすること、続けることに障害はないと解ってきました。 今ここにもいれるようになってきたし、ただ気になるのはこの瞑想を続けていったら、どのような変化が起きてくるのか?という喜ばしき予感しかない。

 

以上です。

 

 

生きとし生けるものが幸せでありますように🙏