エッフェル塔は、 フランスの象徴、パリのエスプリ、それが五輪メダルにも採用され、エッフェルさんも感慨ひとしおではないかと推察します。

   歴史をたどれば、パリ万博後の取り壊しを免れ、ヒトラーの爆破命令も阻止され、今も存在する姿に驚きさえ感じます。

   その後は、「ピンクリボン月間」、「ウクライナ・カラー」、「日仏交流」、「家にいよう(コロナ啓発)」等々、平和の象徴として地球を照らし続けています。

   さて、オリンピックではどんなライトアップで楽しませてくれるのでしょう。

   できることなら、世界中の耳目が一点に集まり、地球の未来を考える期間であってほしいと願わずにはいられません。

   

フレンチ【マレーラン   エッフェル塔

 

★★★★★★★パリ五輪メダル★★★★★★★

   表にあしらわれた六角形はフランスのかたちを表現、この部分は鉄製で、エッフェル塔で実際に使われた鉄材を使用。  
   1986年には大規模な改修工事が行われており、鉄の一部がエレベーター設置のために取り外され、
その後は遺産保存プログラムの一環としてパリ市が保管

   これらの鉄片からメダルを作るというアイデアは、2024年のオリンピックがパリ決定直後に生まれた

 (NHKニュース)

   食事中は水さえ飲まず、喉が渇けば炭酸水、夜はビール、「お茶」とはまったく無縁の生活を送っています。

   昔、N〇K「ひらり」できらりと輝いた島田正吾さん、「おーい、お茶」というCMでご覧になった方もおありかと思いますが、そろそろ日本人らしさを取り戻さねばと痛感する次第です。

   古希を前に、川端さんが万感の思いを込めて「玉露」を嗜むお姿を想像しながら、せめて「麦茶」でも飲む習慣を身に着けたい所存です。

   ところで、パリ・オリンピックが近づきましたが、開会式では誰が歌うのでしょう。

   そこで、本日の一人鑑賞会、リレハンメル冬季五輪開会式(1994年)で花を添えたノルウェーの歌姫に、遠くなった祭典を思い出しながら聴き入ることにします。

   そうなれば、ノルウェーの偉大な作曲家グリーグ『ペールギュント』から『ソルヴェイグの歌』を鑑賞せねばなりません。

   語ることができない1本とともに。

 

フレンチ【ラモット   ★★★

 

★★★★★★★一人読書会★★★★★★★

   淀野隆三(フランス文学者)君が「千早振」という宇治の茶を贈ってくれたことがあった。後にも先にも、私はそのようにいい茶を飲んだためしはない。

   その玉露は私の朝ごとの喜びである。味や香もさることながら、湯の中で茶の葉が拡がって行く、その色が何ともいえず美しい。

   私は急須の中に濃緑の若芽がさっと伸びる驚きを愉しむのだ。私は冬もその緑で春を思った。

(川端康成随筆集)

 

★★★★★★★一人鑑賞会★★★★★★★

シセル・シルシェブー『オリンピック賛歌』

 

シセル・シルシェブー『ソルヴェイグの歌』

  「1870年、モーリス・ヘネシーにより世界で初めてコニャックの新しい格付けとして、XO(EXTRA OLD)が誕生した。」(ヘネシーHP)

  風格あるデザインは、「創業者リチャード・ヘネシーの甥ジェラール・ド・ジョッフル・ド・シャブリニャックが考案した。」(同)

   写真は、【ヘネシー   XO】誕生135周年記念として、2005年発売の限定品。入手は困難を極めましたが、中国のコレクターから譲っていただくことができました。

   ボトルを際立てるパーテーションにもたわわに実るブドウが施され、「天下のヘネシー、今盛りなりけり」といった様相を醸し出しています。  

 

コニャック【ヘネシー   XO

 

★★★★★★★レギュラー瓶★★★★★★★

   『世界のコレクター』第72弾、アメリカの方のコレクションです。

   総数ざっと4,000本、バーボン、スコッチがメインのスペシャリストです。

   地震対策から、ガラス製のコレクションケースより木製特注棚を採用しておられます。

   それにしても、並びきれないミニボトル群が気がかりです。

   夢は1万本のような・・・。拡張工事が始まりそうなただならぬ気配(要らぬ心配)をするのは私だけでしょう。

   皆さんは一瞥して終わりですが、虫眼鏡を駆使し、1本1本を執拗に眺めてはため息をつく異常なまでの私がいます。

 

 

 

   バスティーユは地名ではなく、牢獄そのものを意味するそうです。

   1789年7月14日、フランス革命の発端となった牢獄襲撃が起きます。

   ブルジョアジーと呼ばれた第一身分(聖職者:14万人)、第二身分(貴族:40万人)が中間搾取で贅を極め、第三身分(国民:2,600万人)が貧困にあえいでいました。

   特に農民は、「領主に貢租を支払いながら、国王には租税を払うという二重取りにあっていた。」(『歴史の窓』)と載っています。

   多くの犠牲を払いながらも、「独裁者には民衆が立ち上がる」という正義の手本をフランスに見ることができます。

   因みに、幽閉されていた中間搾取王ルイ16世は1793年1月に、妻マリー・アントワネットはその9か月後に死刑判決を受け、断頭台の露と消えました。

   【ジャノー   バスティーユ】は、フランス革命200年を記念して発売された限定品です。当時の生々しい様子を表した絵を参考、ジャノー社がボトルに採用しています。     

   

アルマニャック【ジャノー   バスティーユ】Ⅰ

 

★★★★★★★レギュラー瓶★★★★★★★

 

★★★★★★★フランス革命★★★★★★★

バスティーユ

 

   ブルボン朝はルイ14世以来の対外戦争に続いて、アメリカ独立戦争への参戦によって出費がかさんだにもかかわらず、宮廷の奢侈生活が続けられ、財政困難が表面化した。

   ルイ16世は財政家テュルゴー、銀行家ネッケルなどに財政改革に当たらせていたが、根本的な改善を講じることはできなかった。

   そんな中、1786年には英仏通商条約を結び貿易の振興を図ったが、すでに産業革命を進行させていたイギリスの安価な工業製品がフランスに流入し、フランスの国内産業が打撃を受けるという失策となった。
 行き詰まったルイ16世政府は全国三部会
を招集し、第一・第二身分に対しても課税を行うこと要請することに踏みきった。

   1789年5月に開会された三部会は、かえって革命の最初の舞台となってしまう。

   また、それまで一定の支持を受けていたネッケルを罷免したことでパリ市民に大きな不安が広がり、それが引き金となって7月14日、バスティーユ襲撃事件が起きる。

(『歴史の窓』)