バスティーユは地名ではなく、牢獄そのものを意味するそうです。
1789年7月14日、フランス革命の発端となった牢獄襲撃が起きます。
ブルジョアジーと呼ばれた第一身分(聖職者:14万人)、第二身分(貴族:40万人)が中間搾取で贅を極め、第三身分(国民:2,600万人)が貧困にあえいでいました。
特に農民は、「領主に貢租を支払いながら、国王には租税を払うという二重取りにあっていた。」(『歴史の窓』)と載っています。
多くの犠牲を払いながらも、「独裁者には民衆が立ち上がる」という正義の手本をフランスに見ることができます。
因みに、幽閉されていた中間搾取王ルイ16世は1793年1月に、妻マリー・アントワネットはその9か月後に死刑判決を受け、断頭台の露と消えました。
【ジャノー バスティーユ】は、フランス革命200年を記念して発売された限定品です。当時の生々しい様子を表した絵を参考、ジャノー社がボトルに採用しています。
アルマニャック【ジャノー バスティーユ】Ⅰ
★★★★★★★レギュラー瓶★★★★★★★
★★★★★★★フランス革命★★★★★★★
バスティーユ
ブルボン朝はルイ14世以来の対外戦争に続いて、アメリカ独立戦争への参戦によって出費がかさんだにもかかわらず、宮廷の奢侈生活が続けられ、財政困難が表面化した。
ルイ16世は財政家テュルゴー、銀行家ネッケルなどに財政改革に当たらせていたが、根本的な改善を講じることはできなかった。
そんな中、1786年には英仏通商条約を結び貿易の振興を図ったが、すでに産業革命を進行させていたイギリスの安価な工業製品がフランスに流入し、フランスの国内産業が打撃を受けるという失策となった。
行き詰まったルイ16世政府は全国三部会を招集し、第一・第二身分に対しても課税を行うこと要請することに踏みきった。
1789年5月に開会された三部会は、かえって革命の最初の舞台となってしまう。
また、それまで一定の支持を受けていたネッケルを罷免したことでパリ市民に大きな不安が広がり、それが引き金となって7月14日、バスティーユ襲撃事件が起きる。
(『歴史の窓』)