五輪ロスと思いきや、もうロス五輪に突入しているのが現実。
振り返れば、「誤審ピック」と揶揄されましたが、どう改善するか問われ続けるに違いありません。
さて、飲酒・喫煙で参加が認められなかった選手、法令順守は当然のことで前例を作ってはなりません。
私のように、気胸を二度も患いながら未だタバコがやめられず「廃人」となってもいいのですか!
また、女子ボクシングの「性」問題ですが、男女別に行う以上、意義の明確化と規定の厳格化を明示すべきでしょう。
さらに、選手に対する誹謗中傷にも憮然、正々堂々と話すことができない輩の多いことに憂いは深まるばかり。
ところで、その昔、小学生だった私が初めてTVで観た「東京オリンピック」で忘れられない場面がいくつかありました。
●棒高跳びは夜遅くまで二人の死闘が続き、白黒テレビで目は白黒!
●女子砲丸投げ金メダル選手が、後日の染色体検査で「男」と判明!
●「神永、ヘーシンクに破る」柔道無差別級の結末に日本中が騒然!
●マラソンのアベベ選手にびっくり、裸足で走って金メダルに驚愕!
●ヨット競技、ヨットから投げ出された他国選手を救った話に感動!
★★★★★★★一人読書会★★★★★★★
ヨット競技のフライングダッチマン級レースは、10月12日から江ノ島のヨットハーバーで行われました。
2日目までは穏やかな天候が続いていましたが、3日目の海上は瞬間風速が15メートルにも達するあいにくの荒天でした。
実際にレースがスタートすると、悪天候のために沈没・故障する艇が続出しました。
しかしその中で、スウェーデンのラース・キエル、スリグ・キエルの兄弟選手が操縦するヨットは先頭グループを好調に追い上げていました。
しかしそのとき、前を走るダウ、ウィンター組(オーストラリア艇)が突風により大きく揺れ、ウィンター選手が海へ投げ出されてしまったのです。
ダウ選手はといえば、横倒しになった艇にしがみつくのが精一杯という状況でした。
それに気付いたキエル兄弟は、レースを中断して100メートルも逆走し、ウィンターの救助にあたりました。
そして、監視艇がオーストラリア組を助け上げるのを見届けてからレースを再開。結果、11位でのゴールとなりました。
翌日、この一件を報道した新聞記事には「人類愛の金メダル」という見出しが付けられていました。
それに対して兄弟は、「海で遭難事故を見つけたら、何を置いても救助に向かうのは海の男として当たり前」と笑顔でコメントしたそうです。
(朝日グラフ『東京オリンピック』)
昨年、雑記帳で紹介したイギリスのホジキンソン選手、世界陸上(昨年)の銀から、パリ五輪では金に輝きました。
『ノー・プレッシャー ノー・ダイヤモンド』(彼女の座右の銘)、不撓不屈の精神が結果を導いたのでしょうか。
ホジキンソン(金)※パリ五輪陸上女子800M
★★★★★★★雑記帳No218★★★★★★★
ホジキンソン(銀)※世界陸上’23女子800M
世界陸上では、800メートルのホジキンソン(イギリス)、僅差(0.31″)で銀。
世の中は金だ銀だと言っていますが、ロサンゼルス五輪(1984年)は衝撃的な「事件」が起こりました。
それは、種目は忘れましたが、水泳の9位~16位決定戦で世界記録が生まれたのです。その選手の喜びよう、観客の割れんばかりの拍手喝采で独り舞台となり果てました。
その後、1位~8位の決勝で平凡なタイムで金メダルを獲得した選手は、うなだれるように授賞式に臨みました。
「メダルより記録」という果てしなき追求が、永遠に繰り返される一端を垣間見ることとなりました。それ以降、予選、準決勝、決勝というシステムに改められましたが、遺恨が残る試合になったことを思い出します。
ところで、ホジキンソン選手の注目すべき点は、解説者が「彼女の座右の銘は、『ノー・プレッシャー ノー・ダイヤモンド』だそうです。」
意味不明だったので調べると、「圧力がなければ、ダイヤモンドは生まれない」、トーマス・カーライルの名言でした。
きっと、ホジキンソン選手は自らに負荷をかけ、頂点をめざすために軸のぶれない言葉を選んだのでしょう。
その姿勢からも「黙々」と練習を積み、パリ五輪で「金」に輝くに違いありません。またもや、若い人から教えられた次第です。
そこで、『世界名言大辞典』から、執拗にイギリスの哲人を抜き取ってみました。
さて、今夜の一人読書会、「沈黙は金、雄弁は銀」であまりにも有名な方ですが、立ち止まれば「自己改造計画」につながるという淡い期待を抱いているところです。
特に紹介する最後の二文、世界にはびこる独裁者どもに突き付けてやりたい寸鉄です。
何なら、金さん銀さんを呼びましょうか。
「欲というものを捨てないかん。欲があるとケンカもせにゃいかんでね。」
これでもダメなら、山東京伝に登場していただきますか。
「世界の人、金銀の中をかき分けてようよう命を助かれり」
トーマス・カーライル(1795~1881)
人間の可能性は良草を生ずるか、雑草を生ずるか、いずれかである。したがって、折をみて良草に水をやり、雑草を抜かねばならない。
天才とは、何よりもまず苦悩を受け止める先駆的な能力のことである。
失敗の最たるものは、何一つそれを自覚しないことである。
変化は苦痛だが、それは常に必要。
書物には全過去の魂が横たわる。
すべての偉業は「できっこない」から始まる。
平和を保つ最善さは、戦争当事者が自分を絞首刑にふさわしい者だと感ずることである。
自分より立場の弱い人に対する接し方に、人間の偉大さが表れる。