解説によると、「美しい理想郷への憧憬をうたった作品。詩人はユートピアのイメージを、自分の誕生月『六月』に託した。」

   そして、「『六月』といっても、すみれ色した夕暮の見られるヨーロッパ的な六月である。食糧難に悩む戦後は、食べられる実をつけた街路樹は豊かさを象徴する光景であった。」

   さらに、「書かれたのは昭和31年、戦前と違い、皆が生き生きと生きていける豊かで平和な社会の実現への願望を詠った。」

   飛びついた理由はもちろん黒ビール、年金暮らしゆえの哀しい決断で金曜のプレミアム・ナイト、土曜のプラチナ・ナイトだけに許されるバブル・アワーです。

   しかし、今日は「父の日」、どさくさに紛れてゴールデン・ナイト! 

   それにしても、茨木さんが願う「美しい人と人の力」が試され続けています。ひょっとしたら人類の永遠の課題かと想像されてなりません。

   未来ある子どもたちに何を残すか?指導者任せではなく、議論が苦手な我々国民も腹をくくって話し合うことが肝要なのかと思います。

   もちろん、意見の違いは当然のこと、相手を敬うという原則のもとに自分の考えと比べてみることも重要。

   ただ、問い正されると何も言えなくなったり、怒りに変わったり、相手攻撃に走ったりと「話し合い」は崇高な手立てと限りません。

   先ずは相手を知る、聞く耳を育てる、自分を言い表してみる、つながろうとする態度を育てる、過去に学ぶ、未来を見据えた見識を積む等、生意気にも列挙した次第です。

   さて、今夜の一人読書会、『星の王子様』もお迎えして読み浸ることにしましょうか。それも、「どこかに美しい星はないか」を模索しながら・・・。

   語ることができない1本とともに。   

 

フレンチ【ドーヴィル   VSOP

 

★★★★★★★一人読書会Ⅰ★★★★★★★

六月  茨木のり子

 

どこかに美しい村はないか

一日の仕事の終りには一杯の黒ビール

鍬を立てかけ 籠を置き

男も女も大きなジョッキをかたむける

 

どこかに美しい街はないか

食べられる実をつけた街路樹が

どこまでも続き すみれいろした夕暮は

若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

 

どこかに美しい人と人との力はないか

同じ時代をともに生きる

したしさとおかしさとそうして怒りが

鋭い力となって たちあらわれる

 

★★★★★★★一人読書会Ⅱ★★★★★★★

   きみが星空を見あげると、そのどれかひとつにぼくが住んでるから、そのどれかひとつでぼくが笑ってるから、きみには星という星が、ぜんぶ笑ってるみたいになるっていうこと。

   きみには、笑う星々をあげるんだ!