柳家金語楼さんはクモが苦手で、修業時代、アパートに巨大蜘蛛(アシダカグモ?)が出た翌日には引っ越したとエッセイに書いておられます。

   そういう私も中学生の頃、親戚の家のトイレにアシダカ軍曹が天井に張り付いていて驚いたことがあります。

   ほぼ大人の掌サイズ、足には毛が生えていてこちらを睨んでいるように思え、それはもう「あっと驚く為五郎」。

   それなのに、叔父・叔母も「平気の平左衛門」そして、翌日には「霧隠才蔵」

   あれから幾星霜、出ました!昨年の夏!!よりによって私の部屋!!!

   それでも、ゴキブリを食べる正義の味方なので、部屋のドアを開け、家族のいる方へ仕向けておきましたが・・・。

   ただ、その通り道に寝ている私の顔が含まれているとしたら「悪魔の道」、いや「あ、くもの道」。

   そんなことより、「恐怖の味噌汁」の十倍、「青い血」の百倍もおそろしい夜となったことは言うまでもありません。

   下品は置いといて、今夜の一人読書会、著名人の「苦手なもの」を拝読しましょう。さらに、谷川さん推奨「おそろしいものへの憧憬」、少しだけ触れてみましょうか。

   語ることができない1本とともに。

 

カルヴァドス【コケレル

 

★★★★★★★コケレル社★★★★★★★

 

★★★★★★★一人読書会★★★★★★★

   三島由紀夫氏はカニがおそろしいそうです。

   石原慎太郎氏は蛾と蝶がおそろしいそうで、これなどはなかなか詩的なおそろしがり方といえるかもしれない。

   ある詩人は、蜂の巣がおそろしいのだそうです。蜂の巣の、あの同じ大きさの六角形がうじゃうじゃとくっついているのが何ともいえずおそろしいのだそうです。

   近頃、いたいけな子供が、「お化けなんかこわくないよ、だってあれは想像だもん」などといっているのを聞くと、我が国の教育のあり方について考えさせられます。

   そんなに早急にお化けを否定してしまっていいものだろうか。

   「おそろしい」というこのわくわくさせる神秘的な感情を、その本来のおおらかさと深さにおいて守ることを、少なくとも、私は自身の義務と信じているのです。

(谷川俊太郎『散文』)