N〇K『虎に翼』も好調な滑り出しですが、一言も二言も・・・。
「鳥取の中田正子さんをお忘れではありませんか。」
「そりゃ、『初の女性裁判長』三淵さんは認めますが、同期合格のあと二人もしっかり追ってくださいよ。」
ところで、ドラマの冒頭で、憲法第14条が語られました。
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
それなら、憲法第25条
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
こちらも切に取り上げていただきたいと、息巻いているところです。
奇しくも、N〇K『ブギウギ』の女王は、ロッキード事件後、田中角栄と空港で出くわした際に握手を求められたそうですが拒否、映画の弁護士役で鍛えられたからとしか言いようがありません。
つながる?朝ドラ、最後まで見届けましょうか。
どうか、三淵さん、中田さん、久米さん、さらに、笠置さん、国政(酷政)の成り行きを見守っていただければと願う次第です。
さて、今夜の一人読書会、高い志を持ちながらも戦前の男尊女卑に阻まれた数多くの女性に思いを馳せながら、読み深めることにします。
★★★★★★★一人読書会★★★★★★★
モデルとなったのは、日本で初めての女性弁護士・三淵嘉子さん。初の女性の裁判長にもなった女性法律家の先駆者です。
戦後、三淵さんはこのように語っていました。
「戦前に弁護士になったのですが、当時、女性は裁判官にも検事にもなれなかった。同じ試験を受けていながら、どうして女性が裁判官になれないのか悔しかった。戦後、憲法が変わるとともにすぐ裁判官を志望したわけです。」
(NHK)
新潟家裁時代も、所長をしながら自ら少年事件の審判を担当している。
当時立ち会った調査官によれば、三淵の心のこもった「説諭」が感動的だったという。
事件を起こした少年も付き添いの保護者も、三淵の語りかける言葉に涙を流している。
(ウィキペディア)
映画『歌う弁護士』(1955年)※笠置シヅ子
昭和15年、日本で初めて女性弁護士が誕生します。
明治大学女子部を卒業した中田正子、久米愛、三淵嘉子の3名です。
なかでも東京都出身の中田正子は、昭和20年に夫の結核治療のため、夫の実家の鳥取へ疎開し、平成14年に91歳でなくなるまで弁護士として活動しました。
鳥取県弁護 士会会長(女性初)、日本弁護士連合会理事(女性初)、勲四等瑞宝章受章など、数多くの功績を残しています
(鳥取市歴史博物館)
★★★★★★★昭和51年流行語★★★★★★★
第1位:黒いピーナツ
第2位:灰色高官
第3位:限りなく~に近い~
第4位:記憶にございません
※当時ベストセラーの村上龍『限りなく透明に近いブルー』が、ロッキード事件を受けて『限りなく黒に近い灰色』に化けた。
(『昭和の流行語ランキング』)