1.1、1.17、そして迎えた3.11、日本国中が鎮魂の時を迎えています。

   その昔、鳥取では、太平洋戦争真っただ中、9.10にM7の大地震で死者1083人を記録しています。

   地震大国と呼ばれる日本、地球が、人類が続く限り避けて通ることができない天災ですが、人災だけは何としてでも避けたいものです。

   阿刀田さんが語るように、今の我々が快適な暮らしで寝そべるのではなく、何十世紀も先の子孫に美しい地球を届けるべきだと考えます。

 被爆国でありながら、自らの手で原子力災害を引き起こす轍を踏んではいけないと改めて思い知らされます。

   やがて、9.11というテロ事件の日もやってきます。悲しいことばかり続く「この星」、希望に満ちた輝く星ではなかったのでしょうか。

   遅すぎますが、一人一人謙虚に生きる厳しい掟が求められている気がしてなりません。

   最後は、サン・テグジュベリに語っていただきましょうか。

   「地球は子どもたちから借りたもの」この寸鉄が、情けない指導者、破廉恥で錬金術に走るセンセイ方、独裁者に届けとばかりに・・・。   

   

★★★★★★★一人読書会Ⅰ★★★★★★★

   3.11の日から半年が経とうとしていた八月末、福島第一原発の至近距離の町に住んでいた住人たちが、わずか2時間だけ許可されて帰宅をした。

   テレビのカメラが、ある中年夫婦を追って、その情景を丁寧に映し出していた。

   室内を見てまわる夫人が散乱物の中から見つけ出したのは、家族のアルバム。

   あっという間に二時間が過ぎ、バスの脇に戻った夫人に再びカメラが向けられる。

   記者の質問に、婦人がポツリとつぶやくように語る。

   「家の様子を見に来ることで、これからへの一歩を歩みだせるかと期待してきたんですが、一歩にもならなかったですね」

   その言葉を残して、婦人はバスに乗った。

   期待は裏切られ、「一歩にもならなかった」という短い言葉。

   絶望的な状況に放り込まれ、「被災者という異邦人」であることを強いられた者ならではの感覚から吐き出された言葉だ。

   絶対に消してはならない、記憶に刻まなくてはならない言葉であるはずだ。

   私は、テレビや新聞を見る時、今こそ言語感覚を研ぎ澄まして耳を傾けなければと思いつつ、メモ用紙を必ず傍らに置いている。

 

   「夜になると幽霊が出るんです」

   「私も、海の方から子どもが現れて、こっちをじっと見てるのに気づいたんです。確かにうちの子でした」

   岡部医師が、被災者たちがよく口にする話として、そんなことを教えてくれた。東日本大震災から一年余り経っていた。

   岡部医師は、自らがんの闘病中であるにもかかわらず、診療所に「心の相談室」を開いて、大事な肉親や家を喪った人々の支援活動もしていた。

   未曽有の災害で肉親を喪った人々の悲しみに満ちた言葉に真摯に耳を傾ける中で、岡部医師は人間の心の中に宿る自然な宗教心に気づき、自らもその深みに降りていく気持ちでケアにあたらないと、心を通わせることはできないと気づくようになったという。

(柳田邦男『言葉が立ち上がるとき』)

 

★★★★★★★一人読書会Ⅱ★★★★★★★

   一つは、大自然は必ずどこかでトンデモナイ猛威を振るうものだ。

   が、もう一つは、今回の災害には、原子力発電の失敗という、まったくべつな要因がある。

   本当の被害はこちらではないのか。

   この二つを峻別することこそが肝要なのではないか。

   原子力は神の、大自然のルールを越えて人間が踏み込んだ世界なのだ。踏み込むならば、どこまでも謙虚で、慎重で、熟慮に熟慮を重ねたものでなくてはなるまい。

   私はこの大災害を東日本大震災と呼ぶのではなく、東日本原子力災害と呼ぶべきだと考える立場である。

   みんなお金がほしかろう。仕事も確保され、収入も安定し、企業も国家も経済的に豊かでありたい。

   原子力産業は、全体図は複雑でも、要は「だから、そのためにこれが必要なんだ」を根拠としている。

   本当にそうなのか。年数をかけてでももっと賢い方法はありえないのか。

   「お金、我慢するよ」と、その覚悟はあるのか。

   確実なのは、今のままでは、また同じことが起きるだろう。

   美しい海を眺めながら、私にはこの程度の思案しか浮かばない。

(阿刀田高『私が作家になった理由』)

 

★★★★★★★一人鑑賞会Ⅲ★★★★★★★

長田弘(1939~2015)

 

   明治20年、幸田露伴は二本松の夜空の下で野垂れ死に損なったみちのくの旅から、「白露を伴とする人生」を柔和しつつ生きる覚悟だ。

   露伴さん、露伴さん、幸田の露伴さん。

   風吹く野辺で、あなたはそのとき、二本松の夜空に、何を見たのですか。北斗七星と何を話したのですか。

   いま、2011年、二本松の夜空は、あなたの見た夜空とは違いますか。

 

   二本松の上の空。

   「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。智恵子は遠くを見ながらいふ。安達太良山の上に毎日出てゐる青い空智恵子のほんとの空だといふ。」(高村光太郎『智恵子抄』)

   やがて智恵子は、精神の破綻を来たして入院、「ほんとの空」を失くして、「もう人間であることをやめて」、生き耐えた末に逝く。

   光太郎さん、光太郎さん、高村の光太郎さん。

   あなたが彼女を喪った後につづいたのは、昭和の戦争の時代、暗愚の時代です。

   いま、2011年、そっちから安達太良山の上の空が、ふたたびは失くしてはならない「ほんとの空」が見えますか。

 

   「幸福といふものは、たわいなくつていいものだ。おれはいま土の中の靄のやうな幸福に包まれてゐる。」

   「みんな孤独で。みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し。うつらうつらの日を過ごすことは幸福である」

   このトノサマガエルの独白を日本語に訳した草野新平。福島阿武隈山脈の南端の小村に生まれ育った詩人だ。

   どこにいようと天を仰いで泥にひそんで「大きな夢の中にじっと生きてゐる」蛙たちと共に、人は生きているという確信だ。

   心平さん、心平さん、草野の心平さん。

   地球とは呆れたことのあふれる場所だと、あなたはいつか慄然と笑って言いましたよね。

   あなたはいまどこから眺めていますか、あなたのいない地球を。慄然と笑うほかない地球という星を。

(長田弘『夜と空と雲と蛙』)

 

★★★★★★★一人読書会Ⅳ★★★★★★★

サン・テグジュベリ(1900~1944:推定

 

   ぼくは、あの星のなかの一つに住むんだ。その一つの星のなかで笑うんだ。
   だから、きみが夜、空をながめたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう。

 

   愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。

 

   人間はね、急行列車で走りまわっているけれど、何を探しているのか自分でもわかっていない。

 

   地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ。