TVでは、「今日は、88年前に226事件が起きた日です。」と簡単な説明のみ、完全に忘れ去られつつある「日」を迎えています。

   それは、陸軍の青年将校らが首脳陣を襲撃、「国家改造」を要求するというクーデターでした。

   これにより、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監(今でいう文部科学大臣)、高橋是清大蔵大臣が殺害され、鈴木貫太郎侍従長が重傷を負っています。

 

   ●岡田啓介首相:義弟と間違えられ、暗殺は免れました。犠牲となった義弟は写真で見る限り、確かによく似ていて、兵士が見間違えたこともうなずけます。首相は危険を察知して、女中部屋に隠れて難を逃れますが、押し入れの中でいびきをかいて寝ていたそうで、肝っ玉が据わっていたのでしょうか。実は、官邸をくまなく探したうちのある兵士が押し入れを開けた際、首相と目が合ったそうですが、すぐ閉じたそうです。見逃してやったのか、義弟暗殺で満足しきっていたから?疑問は残ります。

 

   ●斎藤実内大臣:兵士らは、ベッドの上にあぐらをかいていた内大臣に軽機関銃を発射しました。妻は銃撃された際に「私も撃ちなさい!」と叫び、死を確認しようとする兵士の銃剣で負傷しています。

 

   ●渡辺錠太郎陸軍教育総監:襲撃されたとき、幼い娘(渡辺和子:のちのノートルダム女子大学学長)と部屋にいたため、渡辺さんはその一部始終を目の当たりにすることとなりました。後に、「父が生きていれば、A級戦犯になっていたかもしれない」と述懐しておられます。

 

   ●鈴木貫太郎侍従長:銃弾を撃ち込まれて瀕死の重傷を負いますが、妻の懇願により、止めを刺さず立ち去りました。後に、終戦時の首相となることは誰も予想できなかった「皮肉な事件」とも言えるでしょう。

 

   これを境に、日本が戦争へ、戦争への道を歩み始めることとなります。

   その黒幕と目された真崎甚三郎(陸軍大将)は戦後、A級戦犯として逮捕、収監されました。

   あり得ないことですが、ラッキーなことに裁きの庭から外され、軍人クラスでは真っ先に釈放されています。真崎については戦前戦後を通し、「青年将校を裏切った卑怯者」との烙印を押され続けています。

   さて、今夜の一人読書会、一緒にビールを飲んでみたかった文豪の独り言、立教大学時代に遭遇した名優の生々しい話に耳を傾けましょうか。

   さらに、戦争ではなく、平和とは何かを少しでも考えてみたいと思います。   

 

★★★★★★★太宰治★★★★★★★

   関東地方一帯に珍らしい大雪が降った。その日に、二・二六事件というものが起った。

   私は、ムッとした。どうしようと言うんだ。何をしようと言うんだ。
 実に不愉快であった。馬鹿野郎だと思った。激怒に似た気持であった。
 プランがあるのか。組織があるのか。何も無かった。狂人の発作に近かった。
   組織の無いテロリズムは、最も悪質の犯罪である。馬鹿とも何とも言いようがない。
 このいい気な愚行のにおいが、いわゆる大東亜戦争の終りまでただよっていた。

(太宰治『苦悩の年鑑』)

 

★★★★★★★高橋是清★★★★★★★

今も使える50円札

 

   この日、雪が降り積もっていた。

   第一時間目の授業の始まりの瞬間、教室の厚い木のドアがそれこそ壊す勢いで引かれた、と思ったら、外套を着ていない小柄な生徒が飛び込んできて、床にぶっ倒れ「おじいさまが、殺された」と何回も叫んだ。

   先生が、教壇から鈍く駆け下りてきて、しゃがみ「おい、君、大丈夫か」と聞き、彼を起こしたら、「僕は大丈夫でした。でも、おじいさまは殺されました。」と微かな吐く息で言う。

   「高橋、じいさん、誰に殺されたんだ。犯人、見たのか。」と聞く。「犯人は兵隊なんだ。」とつぶやいた。

   「君のおじいさまって、誰なんだ。」と誰か。「高橋、コレキヨ、なんだ・・・」と彼。

   「コレキヨ?大蔵大臣の高橋是清か?」と先生が、低いが頓狂な声をあげた。

(池部良『心残りは・・・』)