おじゃまします。なおぞうです。


5日ぶりの我が家の布団と

TV電話越しではない君たちの寝顔に

母ちゃんは幸せを感じています。


とここまで書いて寝落ちして

早朝の投稿になってしまいました。


1歳の男女双子の育児奮闘中の

シングルマザーです。そして

小児外科医をしています。


元旦はお義父さんの計らいで

初日の出を家族で一緒に見る事が出来て

朝日を見ながら、家族や自分の健康の事

病気と闘っている子供達の未来の事など

あれこれ願ってしまいました。


義両親と君たちを見送って業務に戻り

母ちゃんは手術している時

君たちは庭で三輪車に乗っている時

震度4の長い横揺れの地震が来ましたね。

母ちゃんは「父ちゃん我が子を守って」

と祈りつつ、手術を続けました。

終盤だった事が幸いだったけど

すごくすごく怖かった。


君たちにとっては

生まれて初めての地震、怖かったね。

側にいてあげれなくてごめんね。

でも保育園の防災訓練で覚えたのかな?

三輪車を降りてヘルメットを触って

頭を守る仕草をしながらじぃじのもとに

走って行ったそうですね。

君たちの行動、誇らしく思いました。


母ちゃんが4歳の時、父方の祖母と2人で

神戸の親戚宅に泊まっている時に

阪神淡路大震災が起きました。


ピアニストだった祖母は右腕を失い

親戚家族は全員助からず‥

私は重体から奇跡的に助かりました。


4歳の私の地震の記憶

寝ていた部屋の窓から

大型トラックが飛んでくる

上からピアノが落ちてくる

全身の激痛とドクドクという音

今でも鮮明に覚えています。


やがて痛みを感じなくなった時

「生きろ!生きろ!戻って来い!」

厳しい声が聞こえて目を開けると病院で

再び痛みを感じました。


あの日の声


遠方にいた家族や親戚や知人は

救助・救命のプロたちを信じて

願い続けるしかなかったといいます。


1人でも多くの生命が助かってほしい

1人でも多くの生命を助けたい


そういった多くの強い願いが

消えかけた生命を救ってくれたと

母ちゃんは信じています。