こんばんは。甲子園が終わり、ハイライトを見ていると、自分まで心を動かされる思いの林です。



私は、野球を観る方ではないのですが、甲子園はいいですね。何というか、一生懸命さが伝わってくる。純粋なまでの一生懸命さ。高校生独特の雰囲気でしょうか?いいです。


私も運動をしていました。陸上競技部。短距離です。遅かったですが・・・。チームは強かった。連覇がかかった総合優勝争いはもう味わえないですね。でも、今日の甲子園の高校球児のような、部活動生活最後の日を見事に飾れたか?私は少し悔いが残っています。「自分は全力でやったのか?」「ここまでしか伸びなくて良かったのか?」と今振り返ればそんな感じだったかも。


個人競技で準決勝まで進んだけど、決勝には行けず、負けて涙がでたか?清々しい気分にはなったけど、涙はでなかった。


スポーツ生活で涙が出たのは一度だけ。大学のときのスキーの全国大会。最後の種目で失敗したときでした。それまで順調に得点を出し、最後が同様の点数なら、かなり上位でした。が・・・、失敗。あの時は、涙が止まらなかった。


涙が出たか、出ないかの違いは何だったのか。やはり、「一生懸命やったかどうか」のような気がします。本番で100%が出ないのは当たり前。80%出せれば勝てるレベルにすると考えて普段のトレーニングを積んでいたスキー活動。

 陸上競技は、強いチームに身を置いただけで、自分はついて行くだけで精一杯と初めから「勝つのは無理」と思っていた高校の陸上生活。


陸上の方がはるかにハードトレーニングだったけど、充実していたのはスキーの方でした。


冬でなくてもイメージトレーニング。筋力トレーニング。バランストレーニング。リフトが営業終了しても、歩いて登って低速トレーニング。スランプのときは、スキーを片方だけ履いてトレーニング。


というように、決められたトレーニングメニュー以外にも自主トレーニングをずーっとやっていました。目標は全国大会で優勝すること。少しでも上手くなりたい。とハッキリしていました。だから辛いメニューもやれる。


目標が大事で、優勝を目標にしていなかったら、そのためのトレーニングメニューは生まれない。どこに設定するか。それよりも、そもそも「目標をもっているか」です。


一生懸命やると、その競技生活が終わる瞬間に、いままでの練習の辛さや挫折が走馬灯のように駆け巡る。そして「自然と涙があふれる」。涙は一生懸命やった「証」だと思います。


そして、わたしは、今もなお「青春真っただ中」です。


青春は年齢ではありません。


青春はその人の「精神状態」です。


私は「はじける青春」をもっともっと磨きあげて、その「競技生活」=「生涯の仕事」の終わる日を迎えた時、おさえきれない涙を流せるよう全力で走ります。