転職して一ヶ月が過ぎ、最初の給料が入金された。

ゴールデンウィークのため、締め日が通常より10日早く、満額ではないと聞いていたけれど、それでも販売員の頃の30日分よりかなり多かったのでびっくりした。

給与明細とかはもともと見ないので、本当に20日分なのかはわからないけれど。

結局、未だに僕は自分の給料を知らない(笑)

それよりも驚いたのは、毎週400円分を自動引き落としで購入しているロト6が、5月に入って2週連続で当たっていたこと。

どっちも1000円なんだけれど。

そんなこんなで新橋へ通う日々にもだいぶ慣れてきたような気がしているけれど、単休なので疲れの影響で深い二度寝をしてしまったりして、休日のリズムが狂っているのを感じる。

これが一番よくない。

そんなことを強く感じた今日は癒やしを求めてシネマネコさん、11:55上映回へ。

久しぶりにいつもの人の笑顔に会えて、心が和む。

近況を軽く話しながら、いつものB-5のチケットを何も聞かずに発券してくれる。

この感じがたまらなく好きなのだ。


夢みる小学校 完結編
木材にインパクトドライバーで加工を加えていく小学生。
校庭では小学生たちが大きな遊具を作っている。
渡り廊下の屋根も、小学生たちが作った。
ここの子どもたちの表情はとにかく活き活きしている。
ここは【きのくに子どもの村学園】南アルプス子どもの村小学校・中学校。
この学校には“先生”はいない。
国語や算数などの教科授業もなく“プロジェクト”と呼ばれる体験学習しかない。
当然、宿題やテストは存在しない。
自分の椅子や机は自分で作るので、いろいろな形をしている。
プロジェクトは工作や料理、演劇などの5つのグループに分かれていて、子どもたちはその中から興味のあるものを選ぶ。
そして1年生から6年生までが一つの“プロジェクト”を行っていく。
“先生”のいないこの学校では、先生は“大人”と呼ばれ、子どもたちの相談役でしかないので、子どもたちが決めた授業内容を見守る。
普通の公立校の管理的な教育に疑問を持って、ここへやってきた“大人”や、卒業したくないほど楽しかったからという理由で“大人”として戻ってきた者もいる。
南アルプス子どもの村中学校の校長“かとちゃん”は「自由に楽しめること」をとにかく重要視していて、それは子どもたちだけでなく、自分たちもだという。
かとちゃんは、4ヶ月も職を離れてエベレスト登山を行ったこともある。

この年の料理のプロジェクトは“蕎麦作り”に決まった。
一人前の蕎麦を作るために、どれくらいの広さの畑が必要なのか、それは稲作に比べてどうなのか、自然と算数などの知識が必要になってくる。
蕎麦の加水率や、つゆの作り方、子どもたち自身が決めた“プロジェクト”なので、自主的に疑問を持ち、答えを求めていく。
実際に蕎麦屋に取材を申し込み、出向いていく。
この段取りも小学生が行うのだ。
「失敗はたくさんしたほうがいいんですよ」
かとちゃんはそう語る。
子どもたちは、取材を元にレシピを作り、分量を計算しているが、実際にはうまくいかないこともある。
それでもみんな笑顔だ。
きのくに子どもの村学園の創設者堀真一郎氏は「自由には責任が伴うといって抑えてしまう風潮にあるけれど、ここではそれはタブーなんです」と語り「責任は大人がとればいいんです。子ども達にはとにかく自由に楽しむことが大事なんです」と語る。
脳科学者茂木健一郎氏は、この学校を訪れて「これこそが“教育”だ」と語った。
人間の脳は、楽しんでいる時に活発になるのだという。

6年生たちは修学旅行の行き先を話し合い、自分たちで行程を組み、予算を決め、行き先などへの交渉や連絡も行う。
行き先が変更になれば、キャンセルの連絡を行うのも子どもたち自身だ。
自分たちが興味を持った場所に行く修学旅行。

この学校にも通知表に該当するものは存在するが、それは数値ではなく文章で表現されている。
テストは存在しないが、基礎学習の一環としてプリントに記入させるが、授業内容が毎年違うため、プリントの使い回しはできない。

これは“文部科学省が定める教育カリキュラム”を満たすためのもので、一見遊んでいるだけに見えるこの小学生たちは、すべてこのカリキュラムを満たしている。
テストや通知表は法的根拠がないものだと教育評論家尾木直樹氏も語り、それを60年以上前から行っている伊那市立伊那小学校を例に挙げる。
伊那市立伊那小学校は公立である。しかし通知表は存在しない。
元校長の福田弘彦氏は「子どもたちが成長したところ、伸びたところのお話を面談でさせていただいています。ダメだったところを話しても、誰も得しないんですよね」と語る。
また、世田谷区立桜丘中学校の元校長西郷孝彦氏は在任中に通知表や定期テストだけでなく、校則もゼロにした。

文化人類学者辻信一氏は、明治学院大学のゼミできのくに子どもの村学園卒の学生が何人かいたが、彼らの学びへの姿勢に驚愕したという。
「彼らは“問い”ができるんです」と語る。
「人生って“問い”の連続で、そのほとんどに答えなんかないんですよね。その“問い”があるから生きていけるんです」と言う辻氏はさらに、実生活の中で生まれた“問い”の力をきのくに子どもの村学園の卒業生は持っていると言うのだ。

きのくに子どもの村学園には、いわゆる【発達障害】と診断された子どももいる。
入学の条件として堀氏が挙げたのは「薬は飲まないこと」。
「画一的な教育の場が“発達障害”というものを生んだんですよ。ここにきて、自分のままでいいんだと気づいたら、症状がなくなる。そうでないと教育とは呼べないんですよ」
事実、この子どもは薬を飲まなくて良くなったことで解放されたと言い、自分が病気なんだとは思わなくなったという。

二人の子どもをきのくに子どもの村学園に通わせる作家の高橋源一郎氏は、入学式と言わず『入学を祝う会』と呼ばれる集会で衝撃を受けたと語る。
子ども達が整列していなかったのだ。
「整列してたら前が見えないんですよね。合理的です」

そんな南アルプス子どもの村小学校・中学校では、冬まつりでも運動会でも、卒業式でも入学式でも、司会は子どもたちだ。
そして小学校の“卒業を祝う会”はそのまま中学校の“入学を祝う会”となる。

世田谷区立桜丘中学校の元校長西郷孝彦氏が南アルプス子どもの村中学校を訪れた。
その中学生の姿を、桜丘中学校に重ね合わせながら「これが学校の姿ですよね」と感慨深げに話した。
“学校は楽しい場所であるべきだ”という西郷氏。
だからこそ、ここの生徒のように“やり遂げる力”が身につくのだと言う。
南アルプス子どもの村中学校の校長かとちゃんも、同じ考えである。
「学校って楽しいだけの場所でいいんですよ」

2022年。
夢みる小学校』が劇場公開された。
保護者から勧められて観たという松山市立余土小学校の校長は、早速“夢みる余土小”プロジェクトを開始。
学校での鑑賞会も開催したところ、5年生が「宿題を減らして欲しい」と校長室へやってきた。
現在は、通知表の選択制を行っていて、様々な意見を取り入れていこうとしている。
そして、この映画の撮影から3年が経った現在。
南アルプス子どもの村小学校の6年生だった彼らは、中学校の3年生になっていた。
それぞれに大きな成長した子どもたち。
その活動は地方紙に取り上げられ、いくつもの研究が表彰されていた。
将来の夢を語る彼らには強い意思が感じられる。
演劇プロジェクトでは『月光の夏』を演じたいという意見に、何人もの“大人”が反対したという。題材が戦争だからだ。
しかし、子どもたちの熱意から上演に至った。
成長した彼らからの強いメッセージ。

「僕たちは戦争に絶対に反対です」
また、プルサーマル原発の危険性などを多くの人が知らないことに衝撃を受けたという者もいた。

そんな彼らも卒業していく。
小学1年から入ってきたら、9年間。
自由でいいんだと見守っていてくれたこと、自分のままでいいんだと教えられたこと、それぞれが旅立ちに際して涙をにじませていた。
職員室に集まった卒業生とジュースを飲みながら、かとちゃんが語りかける。
「みんなはなんでもできるよ。それでも、挫けそうになったら、いつでも帰っておいで。ここにいる僕たちも、みんなの家族です」
小学校入学の際に作った机に、みんなが寄せ書きをする。
それは、この学校で得た全ての原点。
机ごと持って帰る生徒もいれば、天板だけ持って帰る生徒もいるが、いずれにしても大きなものだ。
しかし、それは彼らのこれからを支え続けていくものなのだ。

夢みる小学校』の再編集版で、中学生になった姿を追加した内容だ。
スピンオフで制作された『夢みる校長先生』も含めて観ると、より教育について考えさせられる作品だ。
活き活きとした子どもたちの笑顔に、自然と涙が滲んできたりする。
“自分のままでいいんだよ”
そう語りかけ続けるこの作品は、そうなることで活き活きとするということをまざまざと見せつけてくれる。
世田谷区立桜丘中学校の元校長西郷孝彦氏が今作で印象的なことを語っていた。
「人の自由は奪わないという感覚が芽生えると、本当の成長なんですよね。みんなが自由でいい。だからみんなが違っていていいんだということがわかってくると、いじめもなくなるんです」
発達障害を生み出したのと同じく、いじめもまさに抑圧され画一化された教育/社会システムの大きな問題点なのだろう。

5月3日は青梅大祭の本祭りのため希望休をとった。

別に祭礼の関係者ではないのだけれど、青梅大祭の雰囲気を楽しみたかったのだ。
昼頃から祭礼のために封鎖されている旧青梅街道へ行き、独りでぶらぶらした。

山車や居囃子を眺めながらビールを飲み、屋台で焼きそばやら大阪焼やらを食べる。

普段は人通りのない青梅が、歩けないほどの人で溢れ、どこから湧いてきたのかと思うほどに若者が騒ぐ。
木遣り唄も聞こえてきて、そのひとつひとつに感動する。
500年近い歴史のある祭だ。

そんな祭の雰囲気に、なぜか涙が滲んでくる。
ああ、僕は青梅が大好きなんだなと感じる。

誰かと一緒ならもっと楽しかったかもしれない。
こんな雰囲気の青梅を好きな人と歩けたら、それだけで倖せだろう。

でも青梅大祭の雰囲気を独りでじっくり味わうのも、いいものかもしれない。
それに誰かを誘うには、青梅は遠すぎる。
寂しも感じながら、結局、陽が沈むまで堪能してしまった(笑)

そんな青梅大祭で僕がビールを買ったのは、最近オープンした“青梅酒場ブルーバード”さん。

ようやく先日11日の土曜日に、仕事帰りに寄れた。
21:30閉店なのに21:10過ぎに入った僕を快く迎えてくれて、これはちゃんとした時間にもう一度来なければと思ってしまった(笑)
同じ長淵地域の人が営んでいるようで、親近感もわいたし、ちょうど良い。

今月は楽しみなことがない。
青梅大祭や日米友好祭やら、イベントごとはあるけれど、会いたいと思う人に会えないのは、ただただ寂しくなるばかりだ。
会いたいと思う人がいるだけでもありがたいことなのかもしれないけれど、会えない日が長くなると、もう二度と会えないのではないかと思えてきてしまい、会いたい気持ちが募っていってしまう。困ったものだ。
で、少ないかもしれないとわかっていた給料日前に、2年ぶりに眼鏡を新調したりしてさらに散財した(笑)
JINSの店員さんに勧められて、自宅用には【中近両用眼鏡】外出用には【遠近両用眼鏡】を買ったので、今月のd払いの枠が月の前半で半分以下になってしまった。
外出用の方は、会いたい人に会えた時にデビューさせよう(笑) 
そして仕事では勤務地が変わることになった。
明日から新橋ではなく、東中神になる。
熊本どころか、今までで最も自宅から近い勤務地になった(笑)
仕事内容もデスクワークだけでなく、建設現場に入ることにもなった。
青梅線沿線だから近くなったわけだけれど、出勤時間が2時間前倒しになったので、新橋だったら4時起きのところが3時起きになる(笑)
なにより困るのは東中神には吉野家さんがないということ。
吉野家さんのために結局途中下車しないといけない。
それに実は、僕は結構な人見知りだ。
信じてもらえないことが多いけれど。
せっかく馴れてきた新橋の事務所の人たちとはまた違う人たちと仕事をするというのは、それなりに緊張するものだ。
とにかく僕にはいろいろな仕事を一気に経験させようという魂胆らしく、それらが終わると熊本へ行くことになるらしい。
まぁ、所詮はたかが仕事なのでなんとかはなるだろうと高をくくってはいるけれど、そのためには仕事の帰りの吉野家さんの牛丼が大事なのだ(笑)
好きでもない仕事をしていても僕がストレスを感じないのは、たぶん吉野家の牛丼と、2時間を超える通勤時間が必要なのだ。
僕は“OnとOff”の切り替えが下手くそなので、長時間の通勤時間でリセットされるのだろう。実際、青梅に帰り着くと仕事のことはすっかり忘れていることが多い。
この時間が短くなることが、どれくらい僕の生活に影響するかは感じてみないとわからない面白いことだけれど、僕の“気分的な”【自由】が奪われるようなら、この仕事に長居は無用だろう。
最近気づいたのだけれど、僕はどうやら“お金”にも興味がないらしい。
そもそも生きていることに興味がないのだから“健康”に興味がないのはもともと感じていたし、健康診断とか保険証が大事なものとは到底思えないのは知っていたけれど“お金”にも興味がないとは・・・。だからお金が寄ってこないのか(笑)
もちろんお金はあるに越したことはないのだけれど、給料で仕事を選んでいないことをようやく自覚した。
そうゆう感覚でもないと、映像制作の仕事なんかを20年もやっていなかっただろうなって思う。
趣味の延長線上にあったものが、その仕事だったのだ。
儲けたいなんて思っていなかったし、実際に儲からなかったけれど、楽しかった。
その道から離れて10年近くが経とうとしている。
こうなってくると、仕事なんてなんでもいいと思えてくるもので、本当になんでもやってきた気がする。
そのうえで感じるのは、仕事ってなんだか“ごっこ遊び”みたいだなと(笑)
経済衰退国の日本が、経済大国のフリをして遊んでるような感じ。
だからどの組織を見ても、なんだかバカバカしくなってしまう。

“仕事だから”と真剣に語る人を見れば見るほど笑えてしまうのは、僕のクズ度がかなり上がってきた証拠だろうなぁ。
僕はそんな人たちのおこぼれを貰って、なんとか生活していくためと暇つぶしのために仕事をしているので、身の丈以上の収入にはまったく興味がない。
僕が興味があるのは、楽しいと思える時間を過ごすことだけ。
そんなに長く生きたいとはまったく思わないけれど、どうせ生きてしまうなら、たまにでもいいので、好きな人と楽しい時間を過ごしたいと思う。
尤も、独りでの生活が長くなってきたせいか、ある程度、独りでも楽しめるようになってきた気がしてもいる。
これは非常に危険なことだと感じている。