先月は全店舗の同メーカー販売員の中で、販売台数は3位、売上高は1位となれたものの、今月はつくづく売れない日々。そんな5連勤を終えての2連休。
ようやく風邪も落ち着いてきたけれど、まだ少し空咳が残っている。
とりあえず好きなものを食べて、ゆっくりしようと思うこの休日。
今日はシネマネコさん、12:35上映回を鑑賞しに行った。

いつもの人がカフェコーナーにいたので、別の人にいつものB-5を発券してもらっていると、いつもの人が戻ってきていつもの素敵な笑顔で挨拶をしてくれた。

 僕の癒やしの時間。いつもの座席でスクリーンを見つめて上映開始を待つ。

いただきます ここは、発酵の楽園

釜から立ち上る湯気。釜ではお粥が作られている。
“You are what you eat”食べたものが私になる。
山梨県にあるみいづ保育園では、里山保育が取り入れられており、園児たちが育てた野菜を給食にしている。
この日は冬の七草を集め、七草粥を作っていた。
「冬の寒い時に緑の葉を出しているこれらの草の力を頂いて力をつけるんです」
園長の日原瑞枝は自然とアートに興味を持って、大学時代は絵を描いていた。
そんな彼女はいま、園児たちと里山保育という作品を作っている。
すべての農作物は無農薬の有機野菜のため、畑には多くの生き物が集まる。
そこは生き物にも、植物にも、子どもたちにも“楽園”なのだ。
「農薬の影響で野菜の栄養素が低下しているということを以前読んで、無農薬野菜を子どもたちに食べて欲しいと思ったんです」
その自然を全身で感じながら過ごす幼児期が、やがて地球のことを考えるような大人になるのではないかと信じている。
園児たちは自分たちで育てた野菜を笑顔で食べていく。皿を舐めるほどに。
この保育園では味噌も園児たちが作る。
卒園式では、園児たちが作ったたくあんや味噌を父母に渡すのだ。

長崎県でオーガニック野菜農家をしている吉田俊道は【菌ちゃん先生】と呼ばれている。
くず野菜などを発酵させた肥料を「漬物ですよ」と言い、その発酵した葉を口にしながら「人間が食べて美味しいと思うものを土にあげるんです」と語る。
彼は公務員として農業指導の業務に就いていたが、10年勤めた後、母親の反対を押し切って有機野菜農家になった。
最初は勿論うまくいかなかった。農薬をやめた畑の作物は虫に喰われたのだ。
キャベツに語りかけ、手を合わせる日々の中“キャベツをいただいているんじゃない、これが自分の身体になるんだ。俺はキャベツなんだ”と思い至った。
やがて土が発酵し、活き活きとした野菜たちが実るようになった。
すると虫に喰われなくなり、猪もカラスも寄り付かなくなったのだ。
それは第7の栄養素と呼ばれる【ファイトケミカル】が野菜に含まれるようになったためだった。
植物が、暑い日差しや虫から身を守るために作り出すこのファイトケミカルは、人間にも良い影響を与えると言われている。
「有機野菜というと虫喰い野菜みたいに言われることがあるけれど、本当の有機野菜は虫に喰われないんです」
虫は弱ったものを食べるのだ。
そして、彼の畑の土は微生物という菌によって発酵しているため、フカフカで、にんじんや大根も簡単にスポッと抜ける。
「土さえ作ってしまえば、美味しくなって楽にもなるんですから」
そんな吉田は、マミー保育園などで有機野菜栽培の指導にも行く。
園児たちが近所で貰ってきた生ゴミを発酵させて土を作っていくのだ。
そうやって育てた野菜を給食で食べる園児たちは、笑顔であり、元気だ。
年間6日ほどの病欠があったこの保育園では、有機野菜の和食給食に切り替えてから、1日に満たない病欠率になった。
この考え方は、千葉県いすみ市でも取り入れられ、いすみ市では全小学校の給食で地元産のオーガニック米が採用されている。

山形県高畠町は有機農業の里として知られる。
そこでオーガニック稲作農家を営む菊地良一は、9代続く農家で、地元の有機農業化に貢献してきた。
小学校でも年間40時間の農業実習がある。
子どもたちは泥まみれになりながら田植えを楽しみ、収穫を楽しむ。
「牛舎の前で落としたおにぎりを拾って食べてもO-157になんかならない。O-157になってしまう人は、必要な菌まで除菌してしまう生活をしているからなんですよ」
そう語る菊地は、小学生が作った田んぼに黄金色に輝く稲穂を見つめて「薬よりもすごいですよ。この米なら、60キロ10万でも買いますね」と笑う。

青森県でオーガニック果樹農家を営む木村秋則は、股の間から景色を見ていた。
「逆さにして見るとさ、逆に見えるでしょ。土の中が主なんだよという考えなんですよ」
彼が育てたリンゴは【奇跡のリンゴ】と呼ばれている無農薬のリンゴだ。
無農薬にした理由は、妻が農薬に弱かったためだった。
しかし無農薬にした途端、リンゴは実ることがなくなり“青森で一番貧乏な家”と呼ばれたという。
三人の娘は、1つの消しゴムを三つに切り分けて使った。

家中のどこを探しても10円玉一つ見つからない。そんな生活が11年続いた。

無農薬では不可能だと言われたリンゴ。その実現に向けて自分を信じて突き進む木村を妻は必死で支えた。
しかし、さすがの木村も心が折れた。苦労をかけた家族に詫びるように、実ることのないリンゴの樹から家に向けて頭を下げ、死んで詫びるしかないと思い至った。
死ぬために入った山の中で、活き活きとする土に出会った。それは酸っぱいような、心地の良い土の香りだった。
木村は死ぬことをやめてリンゴ園に戻った。そこは雑草が身長ほどにも伸びていたが、それは土が活き活きとしてきた証だった。
翌年、7つの花が咲き、7個のリンゴが実った。5つは虫に喰われてしまったが、ついに無農薬のリンゴが実ったのだ。
木村が育てたリンゴの大きさを見て「ひっそりと農薬を使っているに違いない」と揶揄されるようなこともあったが、彼の育てたリンゴと農薬リンゴを比較した際、収穫から4ヶ月経っても腐らず赤いままでいることの理由が、微生物の働きによるものだという研究結果も出た。
現在、木村は娘とこのリンゴ園を営んでいる。
娘は「自分のリンゴと比較して、農薬を使ったリンゴが悪いとかということは言わない人で、そうゆうことはどうでもよくて、とにかくリンゴを可愛がるんです」と木村のことを語る。

みいづ保育園の里山保育のため、移住してきてオーガニック農家になる人も多いという。
「最初は農薬を使わないことばかり考えていたんですけど、土を作る、発酵させていくということが大切なんだと教えられました」
農家になりたての若い青年は語った。
そして保育園では収穫した米を使ってご飯が炊かれていた。
米を見ながら「この中に神様がいるんだよ」と話す園児たち。
その日は“おにぎりパーティー”だ。
園児たちは自分たちで作った米を、自分たちで握って食べる。
その表情はどこまでも澄んだような笑顔だ。

日本の各地には【草木塔】が建てられている。
先人たちは植物に対しても供養を行い、尊びながら暮らしてきたのだ。
その“いのち いただきます”という精神が、伝統的な日本の文化なのだ。

エンドクレジットの“出演”欄の1枚目は“にんじん”や“ほとけのざ”などの野菜たちで、2枚目から人物のクレジットになるというのも、この作品の主役が誰なのかを知らせてくれる。
にんじんをかじる園児も印象的だ。
味噌をはじめとした“発酵食品”は世界でも注目され、伝統的な日本食は究極の健康食と呼ばれている。
作品中でも「西洋医学は対症療法なんですよね。でも健康的な食物を摂り入れていれば健康でいられるというのが“食療法”で、それが和食なんですよ」と語られる。
“発酵”は微生物が作り出すものだ。
何度か医師や研究者がコメントを述べるシーンが入るけれど、指先だけで1億匹の微生物が存在しているという。その微生物を“菌”とも呼ぶが、病原菌となるのは700分の1の菌で、ほとんどの菌は人間にとって有益なものだという。
消毒や除菌で清潔にしすぎると人間の身体は弱くなる。
これは昔から僕自身、感じていたことだけれど、それはまさにこうゆうことなのだ。
終盤で、山梨に移住してきた夫婦は妊娠中。
子宮内ではほぼ無菌状態の赤ん坊は、産道を抜けてくる際に数兆個に及ぶ菌という微生物に出会い、生まれてくるのだ。その菌によって、その身体は守られる。
とにかく子どもたちの笑顔が眩しい作品で、その姿を見ているだけで涙が滲んでくるけれど、中盤で木村秋則氏が登場すると、このおじいちゃんの笑顔に全てを持っていかれてしまう。それくらい素敵な笑顔なのだ。

木村秋則氏の物語は2013年『奇跡のリンゴ』として映画になり、フィレンツェ映画祭で観客賞を受賞した。
死のうとした際の「生きていたら、また自分を信じて何かをやり抜こうとしてしまって迷惑をかけてしまう」という言葉は、あまりにも心に響いてしまう言葉だった。
そんな木村氏がいまは「自分を信じてください。必ずなにかが見えてくるんです」と夢を追う人にメッセージを送る。
木村氏の娘はNHKの番組取材などで父がテレビに出演した際「普段通りの姿で映して貰えてるなって思って安心した」と言う。
その父の姿を、母は非常に喜んだという。
「秋則のことしか考えていない、そんな人ですから」
【奇跡のリンゴ】は、そんな夫婦愛から生まれたものなのだ。

そんな“オーガニック”尽くめの映画を鑑賞した後だけれど、僕の休日の昼食はマクドナルドさんだ(笑)
3000円超の添加物まみれの食品を買い込んできて、食べる。
マクドナルドの食品だって“腐敗しない”ことで有名だ(笑)
健康にあまり関心のない僕は、添加物だろうと農薬まみれの食品だろうと気にしていない。そんなことに気を遣うのは不健康な証拠だとさえ思ってしまう。
健康は失って初めてその大切さを知ればいいもので、普段から健康のことを考えてばかりいるのは不健康だろう。
明日は久しぶりにケンタッキーさんに行こうと思ってもいる(笑)
d払いが使えるお店は本当にありがたいし、こんな僕に毎月10万近く貸し付けてくれるdocomoさんには頭が上がらない。
そんな生活はきっと転職しても変わらないのだろうけれど、その転職候補の会社の社長さんから今日連絡が入った。
採用に向けての動き方などの打ち合わせのための日程調整の連絡だ。
いつが良いだろうかと慎重に検討してから返事しないとな。
行き当たりばったりの僕も、今回はかなり慎重に動こうとしているのが少し面白い。
まだ残雪が少し残る青梅の町を歩きながら、ふと吉田拓郎を聴きたくなった。
何かの転機を迎える時、吉田拓郎か玉置浩二の歌を聴いてきた気がする。
その癖は、未だに変わらない。