数ヶ月ぶりの遅番が1日あった5連勤を終えての単休。
年末年始の変則シフトなので、しばらく連休がない。
年中無休の店舗で4年も販売員なんてことをやっていると、年末年始を感じるのも変則シフトで、くらいな感じになってしまう。
とりあえず12月は同店舗の同メーカー販売員の中では販売台数、売上金額ともに1位となれたし、インセンティブ条件もクリアできた。
とはいえ相変わらず、売れても売れた気がしないままの、いつも通りの5連勤で年越し。
わざわざ僕に年末の挨拶のためにやってきたお客様の対応なんかも数件あったけれど、全部おじさんだというのが哀しい(笑)
そのうちの一人には、その人の会社にこないかという誘いをうけた。
映像制作プロデューサーの職から離れてしまった今では、どこでもいいので今より条件が良くなる場所なら、すぐにでも転職する身軽さなので、ありがたい話だ。
まぁ、そんな話が現実になることはきっとないので、適当に聞き流しながら対応した。
そして今日はシネマネコさん、10:00上映回を鑑賞しに行った。

シネマネコさんは冬休み明けで、今年最初の営業日。三が日なので、いつもの人はいなかったけれど、いつものB-5の座席。 

鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎
雨の夜、山深い森の中を歩いている記者は“都市伝説ゲゲゲの鬼太郎”誕生の秘密を取材しようとしていた。
たどり着いたのは【哭倉トンネル】。
「引き返してください」
そのトンネルの前に立ちはだかったのは鬼太郎とねこ娘、そして目玉おやじ。
「この先は何が起こるかわかりません」
そう言ってトンネルの中へ入っていく鬼太郎たちの忠告を無視して、記者は鬼太郎たちを追った。
トンネルを抜けた先には荒れ果てた廃村があった。
鬼太郎たちを見失った記者が彷徨ううちに、地下に落ちてしまうが、そこには妖怪が蠢いていた。

昭和31年。
帝国血液銀行の頭取のもとへ龍賀一族の当主時貞の訃報が届いていた。
龍賀一族は日本の政財界を牛耳る一族。
その当主の次男克典の会社龍賀製薬を担当していた水木は、出世の糸口として龍賀家への弔問を志願した。
一族の本家があるのは【哭倉村】。
水木は、懇意にしている克典が、引きこもっている長男時麿よりも次期当主となることを確実視されているという情報を持っていた。
そして頭取は龍賀一族に近づき、血液製剤【M】の謎を解き明かすという密命を水木に与えるのだった。

哭倉村へと向かう汽車の中、水木は南方戦線での記憶に苛まれていた。
そんな水木に声をかけてきた謎の男は「死相がでている」と水木に言った。
水木にも、自分の背後に何者かがとり憑いているのがわかったが、次の瞬間、謎の男は消えていた。

哭倉村へ着いた水木は、下駄の鼻緒が切れて立ち往生していた龍賀沙代を助け、知り合いになった。そこへやってきた幼い時弥とも親しくなった水木は、龍賀一族の本家へ向かった。
本家では“よそ者”ということで取り囲まれるが、屋敷にいた克典が声をかけたために難を逃れ、一族の集まる部屋へ同行した水木は、その場に時麿が姿を見せたことに慌てていた。
そして読み上げられた遺言状により、当主は時麿と決まり、克典は会社の実権を妻の乙米に握られ、時麿の次代は時弥とまで決められた。
その他のことが書かれていなかったことで一族は遺産の割り当て分を醜く争い始める始末だったが、その時、大きな地鳴りのような響きと屋敷中を揺らす震動が起こる。
時麿に乙米は「本当に大丈夫なんでしょうね、お兄様」と声をかけていた。
習わしによって、葬儀前日は個室に引き篭っていたが、翌朝、当主の篭る神社で、当主時麿が無残な姿で殺害されていた。
“祟りだ”という村の人々。そこへ犯人と思われる人物として捕らえられた男が長田たちに連れてこられたが、それは汽車の中で水木に声をかけて消えた男だった。
その場で首を斬られる扱いとなるところを、水木が説得して男は一命を取り留めるが、その姿を見た“ねずみ顔”の少年が「ゲゲ!」と叫んだのを水木は聞いていた。
水木は牢に入れられた男の監視役を押し付けられ、同じ部屋に泊まることになり、男に話しかけるが男は名乗りもしない。
水木は不老不死の力を与えるという効能さえ語られる“M”を求めてやってきたことをその男に話した。
その男に【ゲゲ郎】とあだ名をつけた水木は、ゲゲ郎になぜ哭倉村へ来たのかを訊ね、話せば牢から出すと口約束をした。
ゲゲ郎は、生き別れた妻を探していると言い、妻の“気配”を感じたと“仲間”から聞いたと答えたが、水木は「こいつはただの負け犬だな」と思い、約束を守らずゲゲ郎を牢に入れたまま眠った。
その夜も、南方戦線での悪夢を見た水木が目を覚ますと、牢には自分が入っていて、ゲゲ郎の姿がなかった。
慌てて外へゲゲ郎を探しに出た水木は、ゲゲ郎が川辺の温泉に浸かりながら、何者かと話しているのを見る。

「ほう、見えるのか?」
ゲゲ郎の言葉を不思議に思いながら、水木はゲゲ郎の処遇を相談してくると改めて約束した。
そして水木は克典を訪れてゲゲ郎解放の約束をとりつけるが、入婿のために龍賀家で実権を持てないことを不満に思っていた克典が“M”の原液の所在を突き止めようと提案してきたのだった。


ただ使われるだけの存在を痛感して落胆していた水木だったが、小舟に乗ったゲゲ郎が村で“禁域”とされる島へ向かっているのを目撃して、ねずみ顔の少年の助けでゲゲ郎を追いかけていった。
島の中に入ると耳鳴りが続き、鼻血も出てきた。
重々しい空気の先の地面には大きな穴が空き、結界が張られているようだった。
そして妖怪たちが次々と水木に襲いかかる。
そこを助けたのはゲゲ郎。
ゲゲ郎は不思議な力で妖怪に反撃するが、一向に抑えられないため気絶した水木を抱きかかえて小舟へ逃げ込み、村へ戻るのだった。
意識を取り戻した水木は、ゲゲ郎が【幽霊族】であること、ねずみ顔の少年も妖怪であることを知った。
そんな中、亡き時貞の次女が人間の仕業とは思えない形で殺害された。
 

東京に憧れをもつ沙代は、水木に村から連れ出して欲しいと懇願していた。
その願いを利用して“M”の秘密に近づこうと考えた水木に、ゲゲ郎は「人の気持ちを弄んではいかん」と苦言を呈した。
その夜。水木の元へ沙代が現れ、時麿の日誌を渡した。
そこには龍賀一族が行ってきた悪行が記されていた。
その内容を読んだねずみ顔の少年は「まったく人間ってやつは」と吐き捨て、村を出て行くと言って去っていった。
そして水木は沙代から、禁域の島へ行き心を亡くした龍賀家の次男孝三との面会の機会を得た。その孝三はひたすら絵を描いていたが、その姿はゲゲ郎の妻の姿だった。
禁域の島に妻がいると感じたゲゲ郎と水木だったが、そこへ現れた長田が、聞き出すのは無理だと嘲笑うのだった。
長田は陰陽師の裏鬼門を扱う呪術師であり、幽霊族を抹殺してきた一族だった。
長田は禁域の島の怨念によって生まれた妖怪【狂骨】を操り、ゲゲ郎の抹殺にかかる。
捕らえられたゲゲ郎と水木は、乙米から“M”の原液が幽霊族の血液であることや、ゲゲ郎の妻も捕らえていることを聞かされた。
そして水木は、自分に想いを寄せてくれている沙代が、時貞に性虐待を受けていたことを聞かされ、衝撃を受けるのだった。


龍賀家の三女で時弥の母も、惨殺された。
そんな中、沙代は水木とともに村を出ていこうと哭倉トンネルへ向かっていた。
その頃、拘束されたゲゲ郎は地下施設に運び込まれて、幽霊族の血液を輸血されて生きたまま屍になった多くの人々のもとへ来ていた。
幽霊族の血液を一旦人間に輸血してから血液製剤として“M”を作り出していたのだ。
そこへ銃を持った水木がゲゲ郎を助けにやってきた。
沙代を人質に見立ててゲゲ郎の解放を要求するが、乙米には通じない。
そして自分の秘密を水木が知ってしまったということにショックを受けた沙代。
しかし水木は、沙代の別の秘密にも気づいていた。
それは、沙代に憑いた妖怪たちの姿。
「ゲゲ郎と付き合いだしてから、見えるようになったんだ」
沙代は、狂骨を操り、屍たちの怨念を集めて、乙米らを殺害した。
全ての犯行は、沙代のものだったのだ。
そして水木の首を締め上げていく沙代が、水木を殺せずにいたところを、背後から長田に刺されてしまうのだった。
蒸発するように消えてしまった沙代。沙代を守れなかったことに慟哭する水木。
その全ての決着をつけるべく、水木はゲゲ郎とともに地下から禁域の島へ向かう。

たどり着いたのは禁域の島の大きな穴の底。
そこには紅い桜が咲いていた。
そして時貞の遺影が大きく飾られていて、その前に姿を現したのは時弥だった。
しかしそれは時弥ではなく、時弥の身体を乗っ取った時貞だった。
時貞は、自らの権勢を続けるべく、時弥の魂を追い出したのだ。
そして、桜の花が紅い理由。
その根には無数の幽霊族が埋もれており、その血を吸っていたからだった。
その中に、ゲゲ郎の妻もいた。
「一人にしてすまなかった」と言うゲゲ郎に「一人じゃなかったわ」と答える妻。
妻は身ごもっていたのだ。
それを高らかに笑う時貞は、さらに“M”を生み出すために使えると言う。
時貞は狂骨を操ってゲゲ郎を痛めつけ、桜の根に捕らえさせてしまう。
しかし諦めない水木は、時貞に向かい斧を振り下ろした。
その斧は、時貞が持っていた狂骨を操るドクロを割っていた。
そうして暴走を始めた狂骨は時貞を喰らい、永遠の苦しみを与えた。
その狂骨をなんとか仕留めたゲゲ郎だったが、解放された怨念たちが続々と狂骨となっていく姿を見て、水木に妻と子どもを頼むと、一人、その怨念を受け止めるために結界に向かうのだった。
島を抜け出た狂骨たちは、村を襲い、村人を殺し、家々を焼き払っていった。
水木は森の中で気を失っているところを救助されたが、多くの記憶がなくなっていた。
「誰かと逃げてきた気がする」
記憶がないのに、溢れてくる涙に困惑する水木。

現代。
鬼太郎たちに記者が食い下がっていた。
「何が起きたのかを話してください!」
そこへ襲いかかる狂骨。
鬼太郎はその最後の狂骨を封じようとしたが、目玉おやじに止められる。
「君が最後まで残ってしまったのか、時ちゃん・・・」
その狂骨は、時弥だった。
「忘れないで」
時弥の願いを聞いた鬼太郎たちは、忘れないことを約束した。
そのことで狂骨は成仏していくのだった。
そして目玉おやじは記者に「長い話になるぞ」と語りだすのだった。

ある日、水木が墓場のそばを通りかかると、墓場の中から赤ん坊が這い出てきた。
墓場から出てきた片目しかないその赤ん坊を化物だと思い、災いのもととして叩き殺そうとする水木だったが、その脳内に下駄の音が響いてきた。
それはゲゲ郎の足音。
記憶のない水木は、その赤ん坊を抱きしめて涙を流した。
それが鬼太郎の誕生だった。
その様子を見つめる目玉おやじ。

鬼太郎の父である、目玉おやじの物語。
もともと鬼太郎は、民話『子育て幽霊』や怪談『飴を買う女』などが原案となり、墓場から産まれた赤ん坊を【墓場の鬼太郎】としたものが水木しげるの描いた鬼太郎の原点だ。
そのさらに原点を描いた作品で、水木しげる生誕100周年記念作品として制作されたのが本作だ。
目玉おやじが目玉だけになる前で、背の高い青年の鬼太郎という雰囲気だ。
水木が苛まれる南方戦線の夢は、戦場で玉砕を謳いながら上官だけは戦地を離れるなどの理不尽が描かれていく。生死の狭間で生き抜いた水木が勝者になるために出世を望むようになった原点だが、その心もゲゲ郎との出会い、龍賀家の醜さを知ったことで大きく変わっていく。
ゲゲ郎が水木に「なんでも見えすぎているのはよくない。片方を隠しているくらいでちょうどいい」と語るセリフはなかなかに奥深い。
また時貞が、水木が憧れていた権力の一部を与えると言って斧を持つ水木を鎮めようとした際に「あんた、つまんねえな!」と斧を振り下ろすのは心地いいくらいだ。
残酷な描写も多くあるため【PG12】指定となっている作品。

水木しげるといえば“妖怪”というイメージが浮かぶほど、妖怪に精通している印象だ。戦地での経験から“死”を強く意識した結果、実際に妖怪にも触れたのではなかろうかとさえ思えるほどだ。
妖怪というと化物のようなイメージが強いが、元を正せばそれらの多くは地の神の姿でもある。
人間の想像を超えた現象や事象を引き起こすものというのが“妖怪”の定義で、今作では【狂骨】が中心となって描かれている。
しかし、よくよく考えれば一番“狂った”存在は龍賀一族であること、閉鎖された村の中では法律が及ばない慣習があったことなど、人間の所業こそが妖怪そのものなのだということを痛感させられる。
水木にしても、出世のために手段を選ばないという道を選択していたのだから、この時点で妖怪と化してしまっていたのだろうとさえ思える。
水木しげるの故郷である鳥取県境港市は、いまや“妖怪の町”であることを大々的に打ち出して観光産業にしているし、お隣の島根県は人口よりも神様が多い“神様の町”を打ち出している。
両県に通じているのは、黄泉の国の入口であるということ。
そんな地域の出身だからこそ水木しげるは妖怪という存在を身近に描けたのだろう。

シネマネコさんの像にだいだいが乗せられているのは、鏡餅のつもりなんだろう(笑)
この目立たない演出が、シネマネコさんらしくて大好きだ。

印象的だったシーンは、牢に入っていたゲゲ郎が、水木を訪ねてきた時弥に話すシーン。
水木が時弥に「もうすぐ世界一の電波塔ができる」と未来の話をしたのに対してゲゲ郎は「良い世界にしたいと君たちが思い続けることが大切だ」と語る。
その時弥の狂骨と再会した時、目玉おやじが時弥に謝罪するのだ。
「まだ君が思い描いていた世界になっていない」と。
このシーンの重みは、現代を生きる全ての人々にとって大きな問いかけなのだ。
今朝はほんの少し早めに家を出て、住江神社へ初詣に行った。
階段を登って住江町を見下ろす。
頻繁に来るわけではないけれど、この景色が好きだ。
青梅に移り住んで初めてここを訪れた時に感じたこの気持ちは、7年目を迎える今年も変わることがない。

この三年、神社で祈ることはいつも同じこと。
今年の初詣でも同じように祈る。
“今年こそ死ねますように。病に苦しみのたうち回り、血反吐を吐きながら、寂しく死ねますように”
この願いは、叶うことなく未だに生きていて、また新年を迎えてしまった。
それどころか、このところは下血さえなくなりつつあって、健康になる一方だ。
もしかしたら、この現状こそが苦しみのたうち回るという状態なのかもしれない。
生きているということは、苦しみの連続だ。
生きていたほうがいいとか、命が尊いなんていう、軽々しい言葉は80億も人口がいる現代には通じない。
死んだほうが役に立つ生命もたくさんある。
死んでも役に立たない生命だから、僕はまだ生かされているんだろう。
生きていて、何が辛く哀しいことか。
希望を持ってしまうことだろう。
だからこそ、心を騙して生きていくために、希望を捨てている。
“次”はないから、誰かと会う時には常にそれが最後だと思って接する。
“次”はないから、何かを食べる時には常にそれが最後の食事だと思って食べる。
寝たら、起きないほうがいい。
“明日”が僕に訪れないことを、今年も願う。
それが僕の新年だ。