なんとなくそれなりに売れた3連勤を終えての休日。
年末年始の調整で変則シフトになるので、これからは単休が続く。
特に予定のない僕は、基本的に希望休がないので、今年の年末年始も普段通りに仕事をするだけの日々だ。
とりあえず今日はシネマネコさん、12:40上映回を鑑賞しに行った。

先週「良いお年を〜」と挨拶してしまったけれど、今日もいつもの人に会えたので、また同じ挨拶をした(笑)この人の笑顔は本当に癒やしを与えてくれ

る。

いつものB-5を発券してくれて、前方の座席の空調を気遣ってくれた。 

火の鳥 エデンの花
宇宙空間を飛ぶロケット。その中で冷凍睡眠が解かれ、ロミとジョージは荒涼とした惑星に降り立った。
そこは“エデン”。地球から逃亡してきた二人の新天地だ。
しかし大気はあるものの水資源に乏しく、砂嵐が続くこの惑星には二人の他に生命体はなく、地球から連れてきていたシバというロボットがいるだけだ。
そんな中でもロミは希望を捨てずにいたが、水源が見つからないことでジョージは絶望していた。
そんな時、ロミの妊娠がわかった。
ジョージは必死で掘削を続け、ついに水源を掘り当てるが、地震によって掘削機の下敷きとなり死んでしまうのだった。
それでもロミは必死に植物を育て、生き、やがて息子のカインを産み、育てていく。
そして幼いカインとの生活。
「あなたはエデンで生まれた最初の市民」
そんなカインは地球の話をするロミに「僕も地球を見てみたい」と言い「僕が地球に連れてってあげる」と約束した。
しかし、ロミは自分が死んだ後に一人エデンに残されるカインを想い、カインが青年となる13年後まで冷凍睡眠に入る決断をする。
その時、再び大地震が起き、冷凍睡眠の設定時間が1300年となってしまうのだった。

青年となったカインは記憶も朧げな母ロミが目覚める日を楽しみにしながら、シバとともに開墾し、食物を改良していた。
13年目になっても目覚めないロミ。カインは1287年後では自分は生きていないという絶望感からシバに八つ当たりして壊してしまう。
話のできるロボットさえいなくなってしまったカインは、ロケットから飛び降りて死んでしまおうかとさえ思うが、その時、空を横切る隕石のようなものが遠くへ落ちたのを見て、そこへ向かってバイクを走らせた。
その途中、事故で岩場に投げ出されたカインは「なんのために生まれてきたんだろう」と悲観に暮れてしまう。
そこへやってきたスライム状の生き物ムーピー。
ムーピーは人の感情を強く感じ取れ、その姿を自在に変えられる。
ムーピーはロミの姿となってカインを抱きしめて言う。
「あなたの子どもを産むためにやってきました」

冷凍睡眠が解かれたロミが、ロケットから出るとそこは建物の中だった。
カインやシバを探すロミが、建物の扉を開けるとそこには人々が住む文明世界が広がっていた。
そこへやってきたロミの姿をしたムーピー。
「お目覚めになるのを待っていました」
ムーピーは1300年の時が流れていることや、カインが1200年前に死んだこと、そしてカインが生んだ子孫たちによってエデンが栄えていることをロミに説明した。

エデンの住民は地球人とムーピーの混血種で、頭には“アンテナ”が生えており、目は見えず、全てを感覚で感じ取りながら生活し、穏やかに暮らしていた。
ロミは女王として称えられながら生活し、そして老いていた。
そんなロミの世話を行えるのは住民の子どもたち。
その一人、コムが宮殿に奉仕に行った際、宮殿の中で“哀しみ”に満ちた場所に迷い込んでしまう。
そこはロケットのある場所で、そこではロミが泣いていた。
そんなロミに優しく声をかけたコムは、“一度でいいから地球に帰りたい”というロミの願望を聞き「僕が地球に連れてってあげるよ」と言うのだった。

コムは両親などから先祖が念力で動く“岩船”でエデンに降り立ったことなどを聞き、その岩船でロミを地球に連れて行こうと禁断の谷へ行く。
それは重罪行為ではあるが、コムがカインと同じことを言ったことなどからロミはコムとともに地球を目指すことに決めるのだった。
ロミが不在の間はムーピーがロミに化ける。
そしてロミはコムとともに岩船に乗り込んで、コムの念力で地球を目指して飛び立っていくのだった。


様々な惑星で不思議な生き物などを見ながら、二人の旅は続いた。
その最中、岩船に衝突してきたロケットの乗組員牧村を同乗させたが、地球人の牧村から「地球はもうない」と聞かされるのだった。
「移民星に移住した人間は、誰だってホームシックにかかるものさ」
牧村は冷凍睡眠を繰り返しながら宇宙を旅する移民監視員の宇宙飛行士だった。
コムがロミの想い描く地球に似た星を目指して天の川銀河を越えて着陸した惑星は、地球ではなかったが緑が広がる、懐かしい世界だった。
しかしそこは鉱物が主権を持つ危険な惑星だったため、再び離陸する。
その際の衝撃による怪我で意識不明になったロミを救出するため、牧村が目指したのはズダーバンの宇宙船。
ズダーバンは“宇宙のよろず屋”という商人で、強欲な男だったが、コムがムーピーの混血種であったことから、ムーピーの居場所を教えることを条件にしてロミを治療することになった。
治療は若返り術で、装置から出てきたロミは20歳の頃の姿に戻っていた。
そしてロミとコム、牧村は地球を目指して再び旅に出る。

地球の周りには、移民の帰還を阻む地球の特権階級によって破壊されたロケットの残骸が夥しく漂っていた。
その中を隕石に化けるように岩船で抜けて、ついにたどり着いた地球。
その様子を見る“チヒロ”。
「ここから先のことは保証しねえからな」
環境破壊によってマスクなしでは2秒ともたないという地球は、ロミが思い描いていた地球とは全く違っていた。
そして不法入国者としてロミたちは捕まってしまうのだった。

一方、エデンにやってきたズダーバンはロミに化けたムーピーに、ムーピーの居場所を訊ねるが埓があかず、商売だけさせて欲しいと言って宮殿を去っていった。
ムーピーは不安を感じていたが、その予想通り、ズダーバンは飲み水に薬を撒いた。
その薬は人の欲望を増長させるもの。
エデンの市民たちは欲望がなく、質素に暮らしていたが、この水を飲んだ市民たちは物欲、支配欲などに囚われ、喧嘩をし、奪い合い、やがてそれは戦争へとつながっていくのだった。

ロミが“選ばれた13人”という特別に有能な遺伝子の持ち主であったことから、牧村は懲罰を軽減されようとしていた。
その遺伝子の持ち主たちは“分解”されるのだ。
その運命から逃れるために、ロミは地球から逃亡していたのだった。
その頃、ロミの幼馴染で現在はロボットとなっていたチヒロの手引きによって、牢屋から脱走していた。
「ヘブン島に行きたい」
そここそがロミの生まれ育った場所。そこはかつて人間だったチヒロが育った場所。
そして牧村は、ロミとコムの捕獲を命じられていた。

ヘブン島は緑に覆われており、空と海は青く、動植物が息づく場所だった。
「ここは地球だ!」
喜ぶコム。ロミも涙をにじませていた。
ここは空気も綺麗で、マスクなしでも平気だった。
しかし、追っ手はヘブン島にすぐにやってきた。
岩船を呼び寄せて、なんとか逃げようとするロミとコムを援護するチヒロ。
ようやく岩船にたどり着いた時、ロミとコムの前に立ちはだかったのは牧村だった。
コムだけは逃がすように牧村に願い出るロミ。
「故郷で死ねて本望だろう」とロミに言う牧村。
「何を言ってるの?ロミの故郷はエデンじゃないか」
エデンに一緒に帰ろうと言うコムの言葉。
コムは海辺に止まっている岩船を念力で動かし、大波を起こさせて牧村を倒すとロミの手をとって走り出していた。
思わず銃を放つ牧村が撃ってしまったのは、コム。
息絶えそうなコムは「一緒に帰ろう」と囁いていた。
ロミは決意して牧村に言い放つ。
「わたしはエデンに帰ります」
そしてロミはコムとともに岩船に乗り込んでいくのだった。

エデンに着いた時、すでにコムは息絶えていた。
そしてロミが見たのは変わり果てたエデンの姿だった。
再び絶望したロミの元へ、ジョージの姿をしたムーピーが現れる。
そして二人は強く抱きしめ合うのだった。

望郷の念で地球へ帰ろうとしたロミが、望郷の念でエデンに戻るという物語。
正直、原作が偉大すぎるので、鑑賞をためらっていたくらいだ。
それでも、観た。
壮大な音楽が映画全体を包んで観客を引っ張っていく。
ただ肝心の【火の鳥】が全く出てこないのだ。
せいぜいズダーバンの船でズダーバンが牧村に不老不死になる方法として語る程度で、物語の核心では登場せず、ただただ遠くから見ているだけの存在になってしまっているのだ。
原作シリーズも表面的にはそのような描き方が多いけれど、ストーリーテラーとしてだったり、実際の罰を与える者としてだったりと、必ず火の鳥が核心で出てくる。
なのでこの作品のような登場の仕方では【火の鳥】である必要がなくなってしまうように感じた。
原作の【望郷篇】では、ロミは冷凍睡眠を繰り返して息子たちとの近親婚を繰り返してロミ一家を形成していく。
その末に息子たちによる醜い諍いなどから絶望したロミに、火の鳥がムーピーとの混血種を勧めてくる。
今作では、カインを一人で老いさせたくないというだけの理由でいきなり冷凍睡眠に入ってしまう。
勿論それでもある程度、伝わるのだけれど、物語の核心である“ロミが地球に望郷の念を抱く”動機があやふやなのだ。
ロミは強く、逞しくエデンで過ごした末に、望郷の念にかられるはずなのに、ジョージが亡くなった後から、急に帰りたがっているので、軽々しく見えてしまうのだろう。
ただ【望郷篇】というのは非常に解釈の難しい作品であることも事実で、その一つとして描かれたのが、今作だと考えれば、ラストで「エデンに帰る」というロミの力強いセリフに涙は自然と出てくる。
【火の鳥】は言わずと知れた手塚治虫のライフワークの作品。
シリーズは未完であるけれど、一篇ごとに完結した物語であるので、現在の形でも十二分にその凄さを感じることができる。
【過去】【未来】が交互に描かれ、最終的には【現代】で終わる構想だったというけれど、すでに多くの【現代】が描かれているとも言える。
輪廻がテーマになっており『黎明篇』と『未来篇』はすでにつながっていて、何度も繰り返される命の物語として完結している。
僕が最初に読んだのは映画で観た後に読んだ『鳳凰篇』。
これも結局、原作の方が凄かった。
比較的に仏教思想に近い物語が多い中では異端作として扱われることもある『太陽篇』は僕の最も好きな作品だ。
壬申の乱を描きながら、日本に侵攻してきた仏教と戦う神道を描いた作品で、これほど仏教を敵視した描き方はないのだけれど、それもまた魅力のひとつだ。
手塚治虫の作品は、どれもこれもとにかく物凄い力で読者をその世界に引きずり込んでくるのだ。
原作とまったく同じように作られたとしても、原作のように心に響くことがない。
「プロというのは、何もないところから出さなきゃダメだ。引き出しを開けたら何もなくて、しかし何かを出さないことには締め切りが迫っている。そこで無から有を生ずるのが、プロですよ」
これは手塚治虫の言葉だ。
彼は常に何もないところから生み続けた。
その苦しさ、醜さ、辛さなどこそが【生命讃歌】であり、その集大成が【火の鳥】なのだ。
手塚治虫が一本の線を描いただけで、この人には敵わないと藤子不二雄は思ったという。
彼の生み出した漫画は、手塚治虫自身が言っているように、今もなお、読者の心に深く残り、生き続けているのだ。

「漫画は消耗品で、その都度屑箱に捨てられるかもしれないけれど、その漫画の内容や主人公は、いつまでも読者の胸の中に生きている」by手塚治虫

世の中的にはクリスマスだ。
今年は町の電飾も少なくて、もともと貧相な青梅駅のイルミネーションさえなかった。
それでもクリスマスだ。
一年で最も好きな“行事”で、この時期が一番心浮かれる。
例年は、少しでもクリスマス気分を味わおうと、セブンイレブンでローストチキンを買ってみたり、ケーキを買ってみたりしてきたけれど、今年はなぜかそんな気分にもなれず。
独りで過ごすクリスマスにも慣れた筈が、今年はそんな気分にさえならなかった。
一応、お決まりのように数人にクリスマスメッセージをLINEで送った程度。
僕の場合“and a Happy New Year”を付けてしまうので、これで年賀状も終了だ(笑)
結局、昨日は吉野家さんの牛丼をいつもの大盛から超特盛に変えた程度。
今日は休日恒例のマクドナルドの溜め食いだ。
最も、注文し損ねたものが一点あったのでいつもよりやや少なめで2800円(笑)
いつもと変わらない日になってしまったクリスマス。
こうゆうイベントごとに、関心がなくなっていくと生きている楽しみを感じられなくなっている自分に気づく。

こんなに健康体なのに、生きる気力があまりない。

不思議なもので、きっと余命宣告でもされれば、生きたくなるんだろうな(笑)
食べたいと思うものも少なくなってきたので、食事会の予定も立てられない。
そんなちょっとした楽しみで、無理やり気力を振り絞って生きている僕にとっては、致命的なことだ。
そんなことを思いながら、クリスマス気分を味わうためにジョン・レノンを聴きながら日本酒を煽って過ごす(笑)