死ぬまで生きて欲しい

死ぬまで生きて欲しい

末期ガンの家族をもつということ

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かれこれ一か月前に、医者から「盆は迎えられないかもしれません」と言われた。


それ以前の体調から見て、あんまり驚きはしなかったがやはり大きな悲しみに包まれた。


母は、気丈に振舞ってはいたが涙を隠すことはできなかったようだ。


宣告されてから、約一カ月経つのだけどその日から今日まで様々な思いが交錯していた。


その変遷を少しずつここに記していこうと思います。



宣告された当日は流石に悲しかった。  病院では涙をこらえたが母と別れて車に乗った瞬間

様々な思いがよぎって号泣してしまった。


その時の感情はやはり「絶望」と表現するのが妥当だろう。


もうそれ以上は何も考える余裕はなく、ただただ悲しみをこらえるのに精一杯だった。


結局その晩は一睡もできなかった。  体はどうしようもなくだるいのだけど神経は最高潮に冴えている感じ。


あの感覚は一体何なのだろう。


翌日も寝てないせいもあって思考能力は普段の三割くらいかというような感じ。

辛いことを考えるのを脳が無理やり拒否しているような、と書けば適当なような頭の中だった。



その中で、自分の商売のこと、母や妹のこと、これから最期の時を迎えるにあたって整理しなければならない

こと、などなど考えることは山積みだなぁ~ってことだけは鮮明に感じた。




そうこうしながら、父の容態は日に日に悪化して見ているのもつらくなってきた。

そのころはもう自分のことなんか考えてる余裕はなく、


親父は今どんな気持ちで死の恐怖に耐えているのだろう?


毎晩誰もいない暗い病室でさみしい思いをしてるだろうか?


など親父のことばかり考えるようになった。  



朝から一日中親父のことを考えて、涙を流し

次の日は「まあ親父はガンになっても好きな酒も止めずに好きな旅行も毎年行って人生を楽しんだから

少し早いけど人生を全うしたのかな」なんて思って楽になったりと

なんだか躁状態と鬱状態が交互に来る感じだった。






その後確実に悪化の一途をたどる症状に反比例するように、親父は精神的に安定してるように見え始めた。


妹を除く家族三人(親父、母親、僕)で初めて診断結果を聞いたときは、絶望というか落胆というか恐怖というか

なんともいえないどんよりとした気持ちになったのを覚えているが、そこから考えると症状こそ悪化すれど

治療はなんだか「ルーチンワーク」のように半年に一回くらい入院する、位のもの(しかも大体10日間ほど)

だったので、僕達もだんだん、緊張感を失っていくような感じになった。


そうこうしているうちに、入院の間隔が少しずつ短くなり始めた。



そのころ僕は仕事も私生活もズタズタで、もうどうしていいかわからない状態になっていた。

もちろんこれは、親父の病気と全く関係のない話なのだが。


で、なんやかんやでもうこの仕事もやめて、小さい仕事を普通にやって普通に生活できるようにしていこうと

決心しようとした時に一人の女性と出会うのである。


当の親父の状況はというと、繰り返しガンの増殖を抑える手術を行っていたけど見るからにその手術の難度が

上がっていくのが素人目にも理解できた。


僕もネットで色々と情報を得ていたのだけど、この「ネット経由の情報収集」というのが非常に曲者なのだということが徐々に解り始めた。

(この話は「余命」という言葉の持つ意味と絡めてまた別項で書きたいと思っています。)








その後僕は仕事変えた。


結局そのことがさらに事態を悪化させるのだけど、今から考えると一見家族全員がそれぞれ精神的に参ってた

ように見えて(まあ実際みんないろいろあったみたいだけど)、対応できてないのは僕だけだったようだ。


金遣いは荒くなるわ、酒の量も増えるわ、おかげで体調も悪くなるわでほとほと自分のメンタルの弱さを

実感してしまった。


そのころ半年くらいで10㌔以上太ったし、月に50万とか平気で酒飲んでたような気がする。


金持ってる人からしたら50万位大したことないだろうが、これはけっこうな額である。


なんだか自分も精神的苦痛の闘病記みたいになっているが、そうではなくて。


そのころ親父は病状の悪化と反比例して、精神的には非常に安定した状態に向かっていたようだ。


もちろん本人は楽観していただけではなく、「死」への恐怖と必死に闘っていたはずなのだが

絶対に人に「しんどい」やら「つらい」やら言わない人で(うちの親父は職人です)

その当時はそのことも相まって、いまいち緊迫感のない闘病生活に入っていくことになった。


僕たち家族も、まるでガン患者など抱えてないかのような毎日を過ごすようになっていく。


そうこうしてるうちに、確実に(当たり前のことであるが)病状は悪化していくことになる。



あの日、母親も妹も僕も親父がガンになったということで打ちひしがれていた。


正確に言うと、母親はうろたえて、妹は少しだけ心配して(彼女は未だに現実として捉えていないのかもしれない)


僕はどうやってこれから接していこうか、と思った。


親父が大病を患ったからといってまさか接し方で悩むことになろうとは思わなかったが、それくらい僕と親父の関係は微妙だった。


もちろん憎いとか嫌いとかそんな気持ちは一切なかったのだが僕にとって偉大な人だっただけに素直になれないところが多分にあったわけだ。


僕の中では、普通に治療を受けて普通に寿命を全うしてくれれば一番幸せなことだから、そのために僕ができることをやっていこうと考えた。


ところが、それが何なのか考えれば考えるほど何をすべきか分からなくなってきた。


当時僕は独身だったし付き合っている人すらいなかった。


そして仕事もまったくうまくいってなかったわけだけど、せめて孫の顔でも見せてあげたいとかずっと働きづめだった両親に旅行でもプレゼントしたいとか、普通にそう思った。


ところが、そう思えば思うほどまったく体が動かなくなってしまった。


あの時の気持ちはいまでもよくわからないが、その後2年くらい金遣いが異様に荒くなってしまい

最後は借金まで抱えてしまった。


今思えば、恐怖心に一番屈してしまったのは家族の中で僕だった。

親父がガンになってもうどれくらい経つだろうか。


僕が小学生くらいの頃の記憶だが、「この人、毎日よく酒呑むなぁ」って感じていた。子供の僕には毎日消費されていく酒の量がどれ程のものなのか知る由もなかったが大人になってお酒の事が理解できるようになると、毎日とんでもない量の酒を呑んでたんだなって思った。


それがすべての原因ではないだろうけど、親父は肝硬変から肝臓ガンになった。


親父は運がいいのか悪いのか分からないが、ものすごく初期の段階で肝臓のガンが見つかった。


実は糖尿病になってもまったく治療らしいことをしないので無理やり病院に連れて行った結果ものすごく初期の肝臓ガンが見つかったわけである。


その日、親父はなぜだかものすごく喜んで安堵していた。


「これでいつでも心おきなく仕事を辞めることができる」と。


ガンが見つかって喜ぶというのも変な話だけど、それだけいろんなものを背負い込んで生きてきたのだろう。


とにかくその日から、僕たちの家族は「これからどうやって親父と接していけばいいのか」を毎日考えながら生きていくことになった。


そう、そんなこと誰も教えてくれないのである。