残りの手続きは大物のみガーン

これからが大変😭

保険関係、通帳関係。。

うまくできるか不安です。


母の除籍後の戸籍謄本が

まだ反映されず出せないのと

病院からの請求書がまだ届かないため

足踏み状態。

さっさと片付けたいのですが、

なかなかうまく進みません。


来週は動けるかな。


とりあえず父の様子を見に行ったり

実家の不要品を持ち帰り

自宅で処分したり

できることをやっています。


ウォーキング再開しようと

自宅を出てみたら

涙が出てきて引き返したり。。

図書館に行っては気持ちを

落ち着けたり。。





働く気力がわかず

このまま仕事を辞めたいなと

思ったのですが、

気持ちの切り替えが難しい私の為に

母がこの時期を

選んでくれた気がしてならなくて。


充分な手続き期間。

気持ちが落ち着く時間。

最後に私に送ってくれたのかな。


ゆっくり休んで

4月1日からはまた元気に

仕事に戻りやと言われてるようで。


頑張るしかない!


職場は4月から休めない状態だし

春休みに入るまでも

すごく忙しかった。

その期間には休みづらいだろうと

私のことを気遣ってくれたのかな~

なんて考えちゃいます。


拒否が強かった母に

たくさん傷ついてきたのですが、

腹が立ったことなんて忘れて

いい思い出しか残っていなくて

それが辛くなります。



もっと話を聞いてあげればよかった

もっと体に触れておけばよかったと

自分を責めてしまう日々ですが、


母の様子がおかしくなってから

ずっとつけてきた母の様子日記。


初期の頃から現在までを

読み返してみると

自分が母の事をどれほど思っていたか

どれだけ悩んだか


いい方法がないか

あ~でもないこうでもないと

書きなぐっていたノート。


必死だった毎日が

自分の文面から思い起こされ

涙が止まりませんでした。


私 頑張ったんだな。

母を愛してたんだな。

一生懸命頑張れたんだな。

いい方法は見つからなかったけど

最善を尽くした。

もう自分を認めていい。

初めて自分を愛しく思えました。


そして、初期の頃の

母の混乱した様子から

少しずつ進行していく様子が

後から読み返してみると

よくわかりました。


拒否が強くなる前の母の強い不安。

お母さん理解してあげられず

ごめんね。


入院前から含めると5年くらい。

辛いことたくさんあったけど

母とたくさんの時間を

共に過ごせてよかった。



悔いが残った事の一つ。

母をお風呂に入れてあげたかった。

顔も拭いてあげられなかった。


娘なら母の拒否になんて負けず

本当に母が大切なら

お風呂に入れてあげられるはず。

仲の良い親子ならできるはず。

いや、普通の親子ならできるはず。


なのに、私はできなかった。

母がこわいからできなかった。


小さい頃から母には

受け入れられていないと

思い込んでいて

母の胸に飛び込むこともできず

いつも遠慮してきた。


だから怖い顔で拒否されると

そこから一切踏み込めなかった。 


母の拒否が弱るまでは無理。

弱ったらディや施設でお風呂

お願いするしかないかな。。


そう思っていたのに

最初で最後のお風呂は

まさかのお湯灌となりました。


お湯灌に立ち会い

痛みや苦痛を洗い流す逆さ水の儀式や

手足を拭くお手伝いもさせていただき

やっと母を

きれいにしてあげることができました。


髪の毛もきれいに洗っていただき

香水もつけてもらいました。

きれいにお化粧してもらって

カピカピだった母の顔は

とてもきれいになりました。


いつもの服を着せてもらうと

目を覚ましそうないつもの母。


きれいな体で旅立ちの準備が

できました。


「頼んでない。いらんことするな」

「いらんいらん」と

母に怒られてる気がしましたがチュー

自分の為にさせてもらいました。



お花が大好きだった母。

溢れるほどのお花に囲まれて

お空に旅立ちました。


まだ現実味がない毎日ですが

少しずつ少しずつ

前を向いていけたらと思います。


読んで下さりありがとうございました。