親の欲目と他人の僻目(おやのよくめとたにんのひがめ)
僻目(ひがめ)とは:見まちがうこと。見損ない。そらめ。思い違い。偏見。

親は我が子可愛さで、実際以上に子供の才能や器量を過信しがちで、他人は妬み半分で、実際よりも悪く見てしまうという心情を表したことわざ。

時々若い人の中に、自身の親のことを毒親と呼ぶ人がたまにいる。「親の欲目と他人の僻目」でその人は子供の頃に育てられたのだろうと僕などは思う。
 

まず自分の親によって、その子が子供時代、学校の他人様の子供と比較され、常に他人よりもお前は優れてあれと期待をかけられる。これが親の欲目。
ところが実際は、親に欲目をかけられたその子は芳しい能力はさほどない。今の言葉で自己肯定感とやらをそこでその子は失ってしまうのだ。親が他人様の子供と自分の子供とをあまりに比べて、その子が出来ないと、我が子をやがてなじる様になる。ますます子供は自己肯定感を無くす。
 

いつぞや、芸能人(若い俳優さん)などが自ら命を絶ったニュースが相次いだが、これなども根っこには親の欲目があって育った人かなとか思ふ。
 

それほど親の欲目は怖い。子供には子供のその子の人としての人格がある。それを親がいつまでも自分の所有物の様に我が子を扱うから、こうした障害が起きるのだろう。
 

親の欲目と他人の僻目。身内贔屓の甘い考えは、自らも慎んだ方がよい。