昨日は長男と二人で脳梗塞で倒れた
叔母をお見舞いに行きました
先日、横浜市の病院から近所の介護
老人保健施設に移りました
叔母は脳梗塞で失語症が残りましたが
病院での入院治療が必要ありませんの
で6ヶ月で退院しなければなりません
リハビリをしっかりやってくれるいい病院
でしたが仕方ありません
でも、20キロ離れた病院から自宅近くの
施設に移ったので随分と行き易くなりま
した。長男が行くと喜びますから。
移転先は老健はある程度自立に近い
位まで回復したので入所出来たのです
急性疾患から回復しても寝たきり状態で
医学的管理下にある必要があるれば
介護療養型医療施設になります
(救急搬送で入院した時、療養型と老健
の違いが分からず転院先をどう探せば
よいか不安でしたが)
結果的に老健に入れるまで回復したんだ
と明るく考えています
でも、失語症と痴呆的な症状が残り、筋力
も目標まで回復せずこれからどんな介護
になるのか多少の不安もありますが・・・
病院のリハビリは毎日複数回のメニュー
で少し筋力の回復が見られましたが、
老健でのリハビリは週3回と病院より
少ないので少し筋力が低下してきてい
ます(これは退院時に説明されてた事)
病院と老健施設ではリハビリスタッフの
人員配置に差がありますから仕方あり
ません。施設のリハビリの他に見舞い
に来た時に家族で出来る事はないか、
今度相談員の方に相談しようと思って
います
「今日は明治節だね」
叔母に話しかけましたが反応はなし
他の入所者さんが若い介護スタッフさん
に「昔は明治節って言ったのよ」なんて
お話しをされていました
人生の先輩に昔の事を聞くことは大事
な事だと思います
昨日の記事にsumidano-hanabiさん から
リアルなコメントを頂きました
「亜細亜の東日出づる処 聖の君の現れまして
古き天地とざせる霧を 大御光に隈なくはらい
教あまねく道明らけく 治めたまえる御代尊」
明治節の歌今でも歌えます。
昭和20年11月3日、私は小学校6年生でした。
式のために登校したら、GHQからの指令で式は
中止になりました。子供ながら敗戦の悲哀を
感じた経験がございます。
私にも実体験はありませんからsumidano-hanabi
さんの戦前の記事は大変参考になります
でも、当時GHQから否定された事が今でも
否定されたり、見ない振りされているのは
どうかと思うのですが・・・