花子とアンは関東大震災 私の聞いた震災の話 | naosukeのきままなブログ

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和物好きな、服飾系店番人の日々の気づきや発見、さまざまなことを気ままにつづっています。
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NHKの朝ドラ「花子とアン」では今日が大正12年9月

1日、関東大震災の日でしたね。花子一家と妹のかよ、

英治の父は無事でなにより。派手な求婚をした英治の

弟の安否が気になります



私の聞いた関東大震災の話



①福田屋の話


福田屋は新和泉町、岡本玄冶の拝領屋敷の玄冶店

にありました。今の中央区日本橋人形町3丁目です

はっきりした資料はないのですが玄冶店濱田屋さん

のあたりと聞いています


創業は慶應元年なので創業から約半世紀で被災

した事になります


初代の曽祖父森田萬兵衛と兄が玄冶店、祖父森田

千吉は実家のそば堺町に独立しました。順調だった

のか千吉は大正11年に矢ノ倉町(現中央区東日本

橋)に家を新築しました



家も反物も全て焼失


関東大震災で両方の家は焼失、被災後は実家は

永田町に祖父千吉は浜町に移転しました


当時、大阪のそごうさんから反物が月100反送られ

てきて、それを福田屋で染めて納めていたそうです

送られてきた100反の白生地も焼失してしまったそう

です。損害賠償はどうしたのでしょうかね



新築の翌年に被災・消失とは何とも不運ですが気に

なるのがその後の千吉の行動。花子達もそうですが

普通災難にあうと家族の安否が気になる筈ですが

祖父千吉は違いました


詳しくは別の機会に・・・




②私の祖母から聞いた話


私の母方の祖母は群馬県は中之条出身

震災の夜、東京方面の空が赤かったと言ってました

それ程大規模な火災が発生していたのですね



③私の叔母から聞いた話


私の父からの祖父は横浜の伊勢崎町で親戚の経営

する河田屋という呉服屋で働いていましたが、河田屋

は地震で倒壊してそのまま廃業してしまったそうです

近くには後に横浜松坂屋となる野沢屋呉服店も被災

したそうです



私は子供のころ下町だったので東京大空襲の話を随分

聞かされましたが、関東大震災で聞いた話はこれくらい

もう、90年以上前の出来事なんですね