今日は、ペイン主治医の最終診察日でした。
何か綴ろうと思いながら、画面を開いたまま、
焼酎(赤霧島)で飲んだくれてたけれど・・
日付が変わってしまう前に、
大急ぎで、今日の日記です。
先生のこの病院最後の外来日。
満を持して登場した大トリらしく、
アンコールにアンコールを重ね
長時間の雑談 診察となりました
私からは、先生に
「どんなに痛みが強くても、辛くても
たったひとつの笑顔があれば
たったひとり分かって下さる人がいたら
何とかやっていける、と教えていただきました」
とお伝えし
先生からは
「医者は患者さんに育てられます、ありがとう」
という勿体ないお言葉を頂戴し。
後は、
リハのカルテを読んでいただいて。
褒めていただいて
もし今後、悪化した時にまず増やすべきお薬を教えていただいて。
・・あと何話したっけ?みたいな
この15年どんな時もブレることが無い
特段意味の無い雑談と冗談←
診察前は、きっと泣くに違いないと思っていたのに、最後に握手していただいた時にじわっと来た以外は、大丈夫でした。
きっと、謎のハイテンションだったのだと思います。
でも、帰宅後
夕食の準備をしながら涙が出て仕方が無かったです。
(今も)
先生には、ペインクリニック主治医として
専門医ならではの神経ブロック、内服の調整など
たくさんお世話になりました。
でも、今、思い出されるのは
しょーもない冗談とバカ話ばかり・・
先生が
「慢性痛の治療は、人と人のつながりですから」とおっしゃっていた意味が、ようやく分かったような気がします。
カルテを見れば、ブロックや処方ならば再現できる。
でも
なんとも言えない、診察の雰囲気だけは、替えの効かない、その人で無ければならないものだったんだなぁって。
PTさんは赤ワインのようなので、私は赤霧島で
そして、最後に、ご退職記念に
病院のロゴとお名前が入ったプレゼントと、手紙をお渡ししました。
「時は戻らない 夢は戻れる」
という、私の大好きな中島みゆきさんの詞を紹介して。
この言葉は、今の私に贈りたい言葉でもあります。
失ったものは色々あり
中でも「時」は取り返しがつかない。
けれども
昔抱いていた「夢」は取り戻せるはず。
形を変えてでも。
そんな想いを込めました。
高校生の頃、頭がボサボサの、まるで刑事コロンボのような町医者に憧れて医師の道を志した、という先生へ。
大学のロゴじゃなく、病院のロゴを選んで良かった・・
あ、日付が変わってしまっている
まぁ、いいか。
先生が記載して下さった
最後の私のカルテの締めの一文は
「生活を維持されていて、活気あり」でした。
令和5年(2023年)3月28日。
感謝を込めて。