すみません、また出てきました
前記事には、たくさんのメッセージとコメントをありがとうございました。
その後、体調はめちゃめちゃgoodです
足の事を意識する時間はほとんどなくなりました。
でも、何かが辛くて、お返事できずにいました。ごめんなさい。
その訳が少し見えた気がしたので‥記録。←言い訳ともいいます
先日、ある勉強会で、お話させていただく機会を得ました。
…といっても、PTさんの講義の合間に合いの手を入れる程度、だけど。
本番二日前に相談されて
深く考えずに、PTさんから提案された「難治性疼痛あるある」をさがして
自分の経験+患者さんのブログや頂いたメールから
痛みの表現を拾い上げていました。
剣山、火傷、骨を打ち砕かれる感覚は必須だなあ…
などと、ひとつひとつ振り返るうちに。
涙が止まらなくなって。
私は、過去の物として今振り返っているけれど
…
落ち込むたびに、励まし、励まされ
分かるわかる、と救われた気持ちになった時の思いや
一人一人の患者さんの状況を思い出すと。
「どんな痛みなのか、どれほど痛いか、どれほど怖いか。
少なくとも、普通の人よりはずっとわかる。
でも、今は痛みのない私」
が、何を語ったらいいのか、分からなくなったんです。
少なくとも「良くなった体験談」を語る気持ちにはなれない。
だったら‥
治療者と患者の通訳としてなら
何かお話ができるのかな‥
と、当日未明の3時半ごろにPTさんにメールしたのでした←迷惑
☆ ☆ ☆
でも、当日は、寝不足&緊張 &… で
思うようにお話しできなかったです。
話し始めるところまでは良かったけど
ふと、いま、この瞬間も、痛みの中にあるお友達のことや
精一杯頑張ったのに助からなかった患者さんの事が
頭をよぎって
もうだめでした。半泣き
最後はジャンプを披露して…とか思ってたのに
涙をこらえるので必死、ボロボロ、な感じでした
そしてね、
「勉強会」の場であっても、どうしても感じてしまう
患者と治療者との温度差。
「疼痛の勉強をしていたら頭が痛くなってきました」
↑みたいな表現を聞くたびに
悪気はないと思いつつ、
そーいう言い方が患者を傷つけるんだよっ と
怒りがふつふつとわいてきます…
あ、ちなみにPTさんの言葉ではないです。念のため。
☆ ☆ ☆ ☆
私ね、
ブログ卒業を意識しだしたころから
「たった一人助かってしまった感」がありました。
うまく言えないけど
災害とかで、たくさんの人が亡くなった時に
一人残された者の苦しみ
「サバイバーズ・ギルト」
みたいな感じなのかな(親友に指摘されました)。
もちろん、幸運は嬉しい。
けど…
なぜ私は助かって、あの人は助からなかったんだろう…とか。
なぜ私だけがここにいるんだろう…とか。
☆ ☆ ☆ ☆
よく考えると
何かに「意味」を求める時って
それが辛い時なんだよね
(生きている意味を考えるのは生きるのが辛い時だと思います)
「私は、幸せだけど辛いです。
誰かの希望の星にはなれないし
誰かの分まで生きることもできないです」
私の辛さなんて、ありんこより小さいけど
この言葉を飲み込んでいたから、しんどかったのかな。
でもね、私はまだ患者として「受け身」だから救われてると思います。
治療に携わる人は
自分の力量で、助かったり助けられなかったりしたと
思ってしまうのではないかな‥
運命なのにね。
本の出版に向けて
PTさんと、患者という立場以外の面から語ることが増えるにしたがって
あ、この人ももしかして同じ苦しみと共にあるのかな‥と
感じたりしました
願いはひとつ。
私の経過が、
症例報告とならず、当たり前になる日が来ますように
追伸:
この記事は、私の「祈り」なので、
コメ欄閉じさせていただきます。ごめんなさい。
今までのコメやメッセにようやくお返事できそうな気持ちです。
メッセージは放置すると1ヶ月で消えてしまうので、
まずメッセージからひとつひとつ…しばしお待ちを…