昨日はお給料日


低収入?( ;´Д`)定収入になって、
お給料日には口座にお給料が入金される生活になって、3年。
結婚して12年!だから、
結婚以来 9 年(も!

そうじゃ なかった!



私は結婚を機に仕事を辞めたから、
これは主人の職種と、就業してたか否か
によるもの。
主人がサラリーマンになって3年。
安定収入はすばらしい。
(ただ、社員の残業リミット有りはなんとも、
理不尽。本人の倫理と、体力
そして自賛ではないけれど、
家族、妻の支えあってこその夫の残業だと思う。)



さて
我が家はお給料日前夜は、24日の通り
餃子ヽ(´▽`)/
みんな大好き(あ、長女以外
餃子の材料を買うために、
夕方の買い物では
みんなでお金を出し合いました!
そして、みんなで
すっからかん!すっからかん♫と笑いあった。


実は我が家のお給料日前は、いつもこう。
お財布に小銭しか、昨日は小銭さえ⁈
残らない月もある。

お給料日までお財布に400円しかないやん〜
って時
260円って時もあったなー
そもそもお給料日がない時代、
ギャラを戴いていた時代には、
息子たちが3歳1歳だったある時
月1万5千円で生活食費
過ごした、あの2月のことは忘れない!
(あ、給料日もギャラの見込もない時代もありました(≧∇≦;;)


だから、貯金は無い。
全く無い。
むしろ(けっこうな) マイナスがある!!!

けれど、

それは、
その状態でもやっていける、
高く、大きなところから見れば、
この一家はそれでも、協力して慰め工夫しあってやっていける!と言ってもらっているということだから、
もう、
なんでうちはこうなの?
なんでこんなに苦しいの⁇
なんで、なんで?なんでー⁇⁇

を辞めました!(涙の努力中でもある!


私は、我が家は、多少の金銭的な苦労を
乗り越え乗り越え、
まだまだ数字的にはマイナス只中ではあります

が、
それでも、
私たち夫婦それぞれを産み育ててくれた両親、
祖父母
殊に両親がこれまで
惜しみなく与えてくれた教養、
生きるセンス

そしてなにより、


子どもたちという未来

今がある!

なんてすごい!
それって奇跡!
なんちゅう巡り合わせ!
奇跡というに充分じゃないか!


マイナスは目下の目標として
胸に秘め!

毎日の瞬間瞬間は

笑う方を選ぶ?
   マイナスに引っ張られて
不安の中へ突き進む?


私は(今は) 前者を選びたい!
心を真逆にして!
選びたい
でも難しいから逆立ちしてでも
(それもムリか


これまでは
頭まで浸かってた  過心配不安症の湯船
今は半身浴?状態かな、ははは。
薄っすら汗をかきながらも
その汗は怒り汗や冷や汗ではなくて、
デトックスな良い汗!
捨てるに必要な 汗!

私の過剰心配不安にも、それ相応のワケがある、
あったんだな仕方なかったねと今、少しずつ過去の自分を解きほぐしてる。


思いがけない展開となったときに、こそ
協力し合うのが夫婦。
ケンカしてでも、夫は妻を、妻は夫を
真に知るためにケンカしてでも!
助けて補い合う、許し認め合う。
協力し合うために結婚したんだから!
そのケンカはぜつたい必  要!
妻の凹は夫の凸が、
夫の凹は妻の凸がはまるのです!
元々そもそも私は後者一直線だった。
(今もその心癖がありますが( ;´Д`)
だからこそ出逢い、夫婦となった、
前向き!主人!主人に感謝してます!
主人の考え方に添うように、考えることにしました(涙の努力中②!
夫婦間のどんな問題も
どちらか一方だけが悪いのではない
一方だけを悪者にすると、
そこから、さみしさが侵入する。
一見当事者じゃないような人、子供に!


世の中の不幸はすべて、
さみしさから、と
作家映画監督の西川美和さんの新聞記事を
長いこと大切にしてた。
はっとして、
そうかもしれない、と眺めるたびに考え
今はほんとうにそうだと思う。
そして、
金銭。
経済不安が悪の根源ということの真実
哀しい、悔しい!!!不条理極まりない
事実。
どんな事件も、ここなくしては語れない。
金銭的不自由、不安を経験したことのない人は、
どんな凄惨悲惨無慈悲な事件も
語れない、語ってはいけない!
と強く思う。
病気をしたことのない人間が、
病気を語れないのと同じかと思います


大事な人や子供の、
さみしさや大きな不安に気づき、
親が、もしくは別の誰かが向き合い、
さみしかったんだね
不安だったんだねと言ってくれたら、
少しは 救われる
私みたいに40にもなって(≧∇≦)でも、
自分の時間、心が遊べる時間が持てたら、
自分にさみしかったんだね
不安だったんだねと
言ってあげられる


今 私は自分に甘い。
だから体力筋力が極端に弱くなってるけど、
それは代償として、
今は、
心の緊張をほぐす
さみしかったんだねと自分に言えるように

まだ数年はこうしていこうと思う
(^-^)