こんばんわ
今日はヨガインストラクターの講座で早朝の出発でしたが、
台風で電車が遅れていることもなく無事に辿りつけて良かったです
今回の座学では心とというもの、その作用をみんなと語り合った後、
先生であるウプカルさんにご教授をいただく流れになりました。
ヨガの定義はヨガの父であるパタンジャリによると、
「心の作用を死滅(コントロール)することである。」
心とは、
「外部の環境を五感や意識を通して認識(感じる)する機能のことである。」
心の振り幅が大きいほど人はエネルギーを使います。
たとえば私が好きな玉山鉄二さんが前から歩いてきたら、
私はテンションがしすぎて興奮して、そのあとはドッと疲れてしまうでしょう。
また、たとえば朝トイレの中で大嫌いなゴキブリと突然遭遇して恐れおののき、
心拍数が上がったまま格闘して、そのあともう一日が終わったかのような疲労感におそわれる。(これは実話です。一人暮らしは辛いよ…)
この振り幅をコントロールし、フラットにすることが「心の作用を死滅させる。」ことであると。
でもそれだと、もはや「しかばね」と同じなのでは?とみんなで言ったところ、
ウプカルさんいわく同じではないとのこと。
先ほど振り幅が大きいほど、エネルギーを使うといいましたが振り幅を小さくしていくほど、
そのエネルギーは蓄えられ、フラットになった場合のベースが上昇するようです。
つまり意識レベルが上昇するということ。
それは常に幸せや豊かさ、充実感などと感じて生きられるという究極のところまでいける。
うなりましたねぇ。
意識レベルが上昇したら、突然現れたゴキブリさんにも「あら、ラブリー」と思えるんでしょうね(笑)
ヨガの考えではヨガをしていくことでこのように意識レベルを上昇させていけるとされています。
アーサナ(ポース)→プラナヤマ(呼吸)→心(瞑想)でヨガは心へ近づいていきます。
現代のヨガはアーサナ:ポーズを重視され、ダイエット効果をうたわれたり、
エクササイズ的な意味で広がっていますが、実は最終的には心をコントロールすることなんだとウプカルさんから教えていただき、本当のヨガをお伝えしていくことは大切だなと思いました。
そして私が今日、目からウロコだった教えがあります。
内(心)が外に影響を与える。内(心)→外。
それをわかりやすく例えるとすると、
「今まで恋人だった人が、顔を見るのも嫌になる。」
この恋人の人自体(外)は何も変わっていないはずです。(顔とか性格とか全て)
でも心が変わったためその人は恋人でなくなり、顔も見たくなくなる・・・・。
つまり、外のことは中立。心の作用で外が変化する。
これを内においたものの前に鏡を置いて鏡にうつったものと外とする。
内にリンゴを置くと、鏡にはリンゴが映ります(外)。
鏡に映ったリンゴをみかんにしたい場合、当然普通は鏡の前のリンゴをミカンに変えますよね。
でも人っていうのは鏡に映ったリンゴをどうにかして、みかん変えようとしてしまいます。
それが職業だった場合、職業という外のことを変えて心を満足させようと思ってしまう。
心を変えない限りはどんな職業になったとしても同じことを繰り返してしまうのではないかと。
どんな状況であっても、心を良い状態に保っていたら外(環境など)も変わっていくということを学び、
そっか。。。としみじみ納得。
上の職業のたとえは私にとっての今の仕事を指しています。
人がなぜ心を病むのかが知りたくて精神科医になろうとし、浪人しましたがやはり難しく路頭に迷った私は、
建築、土木、応用化学、薬学など全て異なる理系の学部を一つずつ受けて受かった中から選ぶことにしました。
薬学部を選んだのは資格が取れるので良いと思い入学しました。
やはり自分が本来なりたかったものではなかったので、その学びはよりハードに感じました。
それでもなんとか乗り越えて10年近く薬剤師として働いていますが、
もちろん患者さまとのやり取りなどでやりがいを感じられることもあれば、
Drの処方が適切であるかどうかをチェックし(用量用法、相互作用、他の病院で飲んでいる薬と重複していないか併用してよいか、以前副作用が出た薬が出ていないかなど)、
さらに用意する薬を絶対間違えてはいけない、その上スピードもある程度求められるので相当神経をすり減らします。
大変だった日はいつも職業を変えたい。。。と思います。
それは今日の話だと鏡に映ったリンゴをミカンに無理やり変えようとすることなんだなと思いました。
本来なりたかったものではないけれど、せっかく縁があってなった職業なのだから、
もう少し内(心)を変えて、またがんばっていこうと思ったのでした。
新たな意識の変化かもしれません