解体屋さんはトルコ人が多いと思っていたけど、
ニュースではクルド人が話題にあがる(・∀・)

私のいる近隣がトルコ人の解体屋さんが多いだけだろうか(´・ω・`)

まぁ、いい(・∀・)


最近、通勤道中でよく解体をしている。
で、建築計画が貼られ、そこそこでっかいマンションが建つことを知る。



我が家のすぐ近くのイオンの向こう側に、
懐かしさを感じる木造アパートがあった。




夜に前を通っても一部屋しか明かりはついていない。
2階に行く階段の手前の敷地はいつも草むらになっている。
1階の部屋の玄関脇に置かれているお風呂の装置、小さな煙突のある焚く機械は風に煽られたのか倒れたまま。

そんななんだか物騒な感じも漂う木造アパート。
実は私が19の頃、初めて暮らしたアパートによく似ていた(*´∀`)

似ていたといっても、そこは満室だったし、草木の手入れはされていた。
アパートの姿形が似ていただけ(・∀・)

このアパートは先月取り壊し、解体とあいなった(´・ω・`)
隣合わせにあった月極駐車場のアスファルトも剥がされた。
建築計画はやはり、マンション(・∀・)

きっと昭和からあった名前もわからない木造アパート。
私が住んでいたアパートは、もうずいぶんと前に解体されオサレアパートができているけど、
この、なんとなく懐かしさのある近所のアパートまでもなくなってしまった。

そりゃしょーがないよ(・∀・)
そうやって街は変わっていくものだから。

20年以上前に暮らした当時の木造アパートは、
まさか19の若者が選ぶとは思えない古い建物で、
その名も◯◯荘(・∀・)

おじゃまんが山田くんか(*´∀`)ってくらいで、安かった。
部屋番号は驚くなかれ!(*´∀`)
い号室、ろ号室、は号室…というフリ方( ´Д`)
90年代後半で、

いーろーはーにーほーへーとーーー!!!

築年数は忘れました(・∀・)
それでも各戸にお風呂もトイレもありました。
和室が2つで全畳でした。

それから、えーと…27年Σ(T□T)ギャッ
引越しは数回しまして、
私には贅沢すぎる立派なマンションが李さんとの終の住処となりました。

いろはにほったて小屋からマンション。
ありがたや。
いきなりこんなキラキラ素敵マンション来たワケじゃないし、
その27年の間に辛酸舐めたり泥水すすったり、悪いこともしたこともあったろう。
そうしながら、這いつくばって生きて、
ありがたく李さんの手を握り、李さんは先にいなくなっちゃったけど、今も私は生きている。

1人で暮らしてサラリーマンしながら幸せでもあったけど、
なんの因果か、会社の代表なんてものになり、
また苦労しちゃったりなんかして…(´・ω・`)
先月、今年度1の売上を記録した。
っていってもまだ初めて8ヶ月ちょい。
利益はまだまだ。
手応えだけは掴みかけてるようなまだのような。

初めて暮らした木造アパートから27年。
まだ途上中の人生半ば。

解体された懐かしのアパートを尻目に、
私自身も立派なマンションみたいなものになりてぇなと思い足掻く毎日。
私はまだ小さな犬小屋、アパートにもなれていない。
なんとかいい巡り合わせと運でここまで来たけど、まだ苦労やしんどい分、頑張らねばならぬぬぬ(*´д`*)
その苦労やしんどさは、何かのツケかもしれないし。

何言ったってやらねばならんし、悩んで解決しないから、
犬小屋なおのり、今月もがんばっていくでぇぇいヽ(´∀`)ノ