こんにちは!
在宅ワークアパレルデザイナー、
アラフォーママのファッション起業奮闘記!
高田奈央子です。
本日は、私について書こうかと思います。
自己紹介ブログです。
ちょっと自分の振り返りも含めて。
12月だからそんな時期ですよね
えーー、すっぴん万歳!ですみません
私は3月産まれの現在42歳。
来年早々に4歳になる息子と、1歳2ヶ月の娘のママです。
仕事は、アパレルデザイナーとして、元々カットソーのデザインをやっておりました。
今はニットカット、たまに布帛もやります。
トータルでデザインをやります。
学校は専門学校のニットデザインを専攻してましたので、カットソーも出来るんですね。
3年間、学校生活は苦痛でした
元々家庭科や美術は2だったのに、デザイナーがやりたくて専門学校に入ったけど、そこでほかの人のセンスの良さに愕然として
自分は、なんて不器用なんだ
センスないし、そもそもデザイン思いつかないし、絵も下手くそ!
そして不器用な上に課題も多くて徹夜の毎日。
デザイナーのセンスがないって感じて自己肯定感もとにかく低くて
学校も実はサボりまくりで、あの頃の自分はダメ人間だったなー。
今思えば、ほんともったいなかった!
ちゃんと行けば良かったと後悔…。
↑
ほんとこんな感じで、親にも学校辞めたいってしょっちゅう泣きついてました。
でも、ここで辞めたら私は何がやりたいのか分からなくなる。
何も出来なくなるんじゃないか?
そんなのが怖くて、なんとか単位ギリギリまで休みながら学校へ。
そして、就職。
まずは量販店向けのティーンズのカットソーデザインアシスタントでした。
小学生くらい対象かな。
私が入社してから、ニットもやり始めるようになって、この会社でめっちゃ売れた商品も作りました!
追加何回もかけて作りました。
嬉しかったなー!!
でも指示書描くのも遅いわ、書き漏らしも多いわで、なかなかできの悪い新人でしたが、はじめてのお給料は、両親に何かプレゼントしたのを覚えております。
ずっとアシスタントでやってて、楽しかったけど、私はいつまでアシスタント?
先輩の仕事を分担してやるだけだとやりたい事はなんだ?
先輩にも
やりたい事って何なの?
あなたのやりたい事が分からない。
この一言は辛かったなー。
それから転職を何回かして、赤文字系ブランドへ。
ここで、またニットデザインの楽しさを知るんですね!
この当時赤文字系は、えびちゃんもえちゃん優ちゃんのトップモデルが表紙の時代。
勤めていたブランドとにかく売れてました!!!
この雑誌も、その当時はとにかく売れてた時代でしたので。
コラボ商品とかも作らせて頂き、量販店向けしかやった事のない私には、華やかな世界に見えました!!
ここでモノづくりの楽しさ、生みの辛さ、売れた喜び、売れない時の反省を強く学びました。
徹夜も楽しかったし。
ブランドも多数あったので、職場友達もたくさん出来て充実してました。
ですがトップになると、大変ですね。
女心の移り変わりを見てきた感覚です。
ここの5年間はかなり濃厚でした。
そして彼氏の転勤をキッカケに結婚して退職。
愛知に引っ越します。
ここからまた私の暗黒時代に突入です。
長くなりそうなので、今回はここまで。
⭐️アパレルデザイナー 件マザーズティーチャー⭐️
高田 奈央子
⭐︎アパレルデザイナー 兼 抱っこ紐ママ向けファッションコーディネートアドバイザー⭐︎
高田奈央子