机の上に山のようにあるペンを断捨離しようと思い立った。

インクの出ないモノや、書き味の悪いモノは捨ててしまおうと一本一本チェックしているうちに、私は面白い事に気がついた。


一番書きやすく好きなモノは、パイロット Hi-Tec C。
0.38ミリがお気に入り。


これで文字を書いていると、自分が「こういう字が書きたいんだ!」という意志をほぼ100%紙の上に再現してくれる。

まさに「阿吽の呼吸」で共同作業が為せる快感を覚える。


ゲルボールペンは、スラスラ書けて気持ちがいいが、少々、滑りが良すぎて、止めたいところで止められない。

私の意図通りに表現してくれない。

そこで、ふと考えたこと。。


書き味の良いペンは優れていて、そうでないモノは優れていないのだろうか。。

書きにくいから嫌い!というのは簡単だけれど、、

それは、本当にペンのせいか?
それってもしかして、「私に合わない!こいつ駄目だ」
という傲慢な決めつけなんじゃないのか?


字が上手な人は、どんなペンでもうまく書く。


よし、このペンの特徴を引き出して良い字を書いてみよう!

新しい意志を働かせてみると、それだけで、前よりもだいぶ良い字が書けた。


そうか。
文字を書くという作業は、私とペンという道具が互いの可能性を引き出し合い 文字を生み出す共同作業であるのだ!

相性の良いペンだけしかうまく書けないのならば、私の他の可能性はずっと伸びないままであるということになる。


「筆」という筆記具は、ペンに比べて無限に近い表現能力が高い筆記具だ。


細もく・太くも表現はあまりにも自由自在。

だからこそ、そのポテンシャルを存分に引き出すためには、たくさん筆と知り合い、その特性を自らの身体で聞きとり、微細な力加減を覚えていかなければならない。


あわわ、、あわわ、、
もしかして、もしかして、
これは、対 人間にも同じことが言えるのではないか?


「何こいつ、思い通りに行かないヤツ、嫌い」


それって、もしかして、
こちらの心の技術の低さが相手を駄目なヤツに見せているだけなのかもしれない・・


日本には、数々の「道」と呼ばれる習いごとがある。

それらが教えてくれる本質というのは、表側に見える「勝利」や「礼儀作法」ではなくて、自分と相手、自分と道具、との最高の関係性を創っていくための心の鍛錬そのものなのだろう。


「我」を一旦横に置き、相手と一体となって意図を遂げる。

フォーカスすべきは、相手への興味関心であり、それはきっと愛というやつなのだろうナ。


さて、果たして私は、目の前のお相手と一体と成れているのだろうか?
まだまだ、未熟モノなわたくし。
さしあたり、百均のゲルボールペンでもこころをこめて、お仕事いたしましょう。



@@@@@@@@@@@@@
剣術を習っている友人医師(長岡美妃)の昨夜の投稿と奇しくも内容的にシンクロしておりました!!

あちらは、本物で深い洞察でございますが。。
https://ameblo.jp/dr-miki/entry-12448684974.html
合わせて読んでみてくだされ

やはり、日本の文化は素晴らしい

真っ白いお弁当が作りたい!
今日、40年来の想いがやっと果たされた(涙)

中学校の頃、私の両親は仕事に忙しく、
私はお弁当というものを
殆ど持たせて貰った事がなかった。

友達のお弁当を覗くと色とりどりの美味しそうな
お弁当にいつも感心させられる。

そして、ラッキーな事に 
私は、それぞれの友人たちのお弁当の
一番ヒーローなおかずばかりを寄せ集めてもらい
クラスじゅうで最高のお弁当を
毎日食べていたのだった。


皆、優しかったな。
そういう事が、だけれども当時はとても
当たり前だった気がする。
無ければあげればいいし 貰えばいい。

子ども時代って、なんてシンプルだったんだろう。


さてさて私の記憶に残っている
母が作ってくれたお弁当は2回。

中でも、あのお弁当の事は
いくつにもなっても忘れられない。

ある朝、母が珍しいことを言った。


『なおこ、お弁当作ったわよ、持ってきなさい』


(え?・・・おべんとー?)


母は当時、険業界、最大手で全国売上一位を
何度も取るほどのキャリアウーマンだった。

私にとって、お弁当や晩ごはんがない事よりも
そんな活躍している母が誇らしかった。

なので普段、お弁当を作ってくれない事を
問題に思っていたことは特にない。


そうは言っても、「お弁当を持参する」という行為が、

私には少々気恥ずかしく、初々しく、
すこしばかり心が踊った。

4時間目が終わり、お弁当の時間が来た。

たかがお弁当ひとつにいつも違う緊張感が走る。。

皆に「今日はお弁当があるんだ!」

と告げる前に、ちょっと中身を確認確認。。


布の結びをほどき・・
フタを・・

フタを・・

そっと開けると、、、

!!
!!
ぬぁ、なんと!!!


そこには母の大好物の「かんぱん」が
隙間なくビッチリと詰められていたのであーる!!

オカズはない。
全部、かんぱんだった!
全部!
間違いなく!


私は、0.1秒でフタを閉じ、
何事も無かったように、
いつもと同じ日のフリをし、
いつものように皆に貰ったお弁当を食べた。


この話をすると母はいまだに嫌がる。

『あんたは、そんな作り話して やな子ね』


いやいや、こんなつくり話、
J.K.ローリングでも思いつきませんから。汗


母にとって、あまり子ども達に
かまってあげられなかった事は
いまでも心が痛むことらしい。

しかし、私にとっては、この母にしてこの私。
このかんぱん弁当の思い出は、
私にとっては愉快で愉快でたまらない
大好きなエピソードなんである。

というわけで、
変てこりんなお弁当を作りたい!
という私の遊び心は、
40年の時を経て、ようやく叶えられたのでした。

めでたし、めでたし。


それにしても、実現するのに40年は長過ぎた。

どうしてだろう?とふと考えてみた。

いつもでやれそうな事ってのは、
案外、全然やらないものなのか?

それもある。
けれども、 
あまりにも馬鹿みたいな事すぎて、

まぁ、アイデアくらいでやめておくか・・
という無意識がどこかで働いていたのだろう。

その間、いつもいつも、何回も何回も、
作りたいなぁ、遊んでみたいなぁと
思った回数は数しれず。。

旦那さんに作ってあげたい・・と思ってたうちに死んだ。
親友と同居中にも作ってあげたい、、思っているうちに東京に行ってしまった。(ていうより反応が恐ろしくて作れなかったぁ)
そして今日、現在のルームメイトの博子(愛犬パグ)になかば無理やり持って行かせたのです。

いやぁぁぁ,本当にくだらなくて
アホらしい。

だけども、あたしのしたい事ってのは、
本当に、こういう馬鹿ばかしい事なんだ。

世のため、人のためになんか
全くならないくだらない事に
好奇心がムクムクとする。

そんな難しい顔してないでさ、、
遊ぼうよ、って言いたくなるんだ。

あぁ、なんという達成感。
してやった達成感が半端なくて
宇宙の王になった気分。

そしてシリーズが、続きますよ、博子くん。
お願いだから、懲りずに付き合ってね。

 

 

この食欲をそそらない感じが我ながら素晴らしい。
白い弁当は、焦げとの戦い!
えのきが案外黄色いのが誤算。
上段左から白菜のガーリッククリームシチュー・えのきバター
下段左から大根のごま油炒め・はんぺん柚子胡椒チーズ鋏み・ゆで卵
ごはんの上には、かまぼこのふりかけ。
 

 

 

美しい白い食材たち。

 

 

緑の部分がうざい。
スジスジ切ってる時は、職人の気分で気合が入る。

~ 前回からの続き 前回はこちら ~

 

お父さんの病気が分かる少し前、たまたまお父さんと話す機会があった。
 
いつもの様にいろんな話をした。
 
弟さん夫婦のアメリカ奮闘記を執筆しているという話。
幕末のサムライの話。
私の曾祖父さんの親友であった乃木希典の話。
 
最後はお約束の娘に対する苦言も。。
 
私は、お父さんの言い分に同意しつつも、それでも最近の彼女の医療者としての活動の幅を広げ、進歩してきている事を伝えた。
 
 
『ただ美妃も もう少しこう、有り難そうにしてくれたらいいのにですね』と私が言うと、
 
『そうだろう? そうなんだよ。あいつぁよぉ、ちっと冷てぇとこがあんだなぁ。まぁだけど、あいつも少しはマシになってきたのは分からないでもないけどな』
 
その日はコンコンと少し苦しそうな咳をたくさんしていて、私は少し心配だった。
 
 
約3週間後、お父さんの病状が末期であることが発覚する。
 
それからの約2ヶ月に渡るの彼女は、それまでの彼女とはうって変わってただただ感心するばかりの献身ぶりを見せるのだった。
 
それは一見、医師として治療家として、ひとりの患者を診るプロとしてのスイッチが入っていた事もあったかもしれない。
 
しかし、その姿勢態度の裏にあった、とてつもない父への愛情の大きさに 私はいささか驚かずには居られなかった。
 
 
いくら娘で医者だからって、こんなに毎日毎日、献身的に動けるものだろうか。
 
朝起きて、娘達のごはんやお弁当を用意する、
そこから仕事場とは反対方向の電車に乗って実家に居るお父さんを診に行き 手当をし、仕事場へ向かう。
仕事が終わるとまた遠回りをして実家に寄り、お父さんの様子を診てから自宅へ帰る。
 
その合間を見て、福岡に講演をしに来たときもあった。
そんな事を毎日、毎日、毎日繰り返していたようだ。
 
 
彼女の毎日のFBへの投稿時刻が、日に日に遅くなって行った。
いつも早寝の彼女なのに、記事を読んでいると、お父さんの様子も含めて心配になってきてしまう。
 
だけども電話やラインでやり取りすれば 全くいつもの元気で気丈な美妃がそこに居た。お父さんもまだまだこれから。
あと2ヶ月もすれば、状況が上向いてきて、そのあと治っていくんだ。
彼女と喋っていると そんな希望の図しか浮かばなかった。

ちょうどホスピスに移ろうとしていた頃、少し落ち着いたらお見舞いに行こうと 私は飛行機を調べたりしていたのだった。
 
 
それがいきなりの危篤状態。
え、なんで?
なんでよ? ねー!?
美妃、まだまだ決定は起きていないって言ってたじゃんよ!

facebookの投稿から、とうとう彼女自身もその時が来たことを認めたことが伝わってきた。
 
涙が溢れて止まらなくなった。
私がお父さんにもう会えないことは、それはいい。
 
ただ彼女の心情を思うと 居ても立っても居られなかった。
あの気丈な彼女の内側に住む、とてつもなく柔らかい心を持った無防備な少女が泣いているのが分かるから。
 
 
この2ヶ月を通して、私が思っていたよりもずっと深く深く彼女がお父さんを大好きでいたことが分かったから。

それまでお父さんが物足りなく感じていたかもしれない娘と過ごす時間を

神様は与えてくれていたように思えた。
 
 
お父さんが亡くなるほんの数時間前、私達はLINEで会話していた。
お父さんと無意識で繋がっているような不思議な体験があることをうれしそうに話す彼女。
 
お父さんの魂はもう身体から飛び出して自由に飛び回ってるのが分かると興奮を伝えてくる。

色んな人を繋げようと動き回っているのだと。
 
私は以前にお父さんが少しばかり寂しそうな事を言っていたことを告げると

『そっか。じゃぁ今耳元で伝えよう』と言ってLINEを切った。
 
 
それから数時間後、父さんは天に旅立っていったと 伝えてきた。
 
おそらく ひとしきり泣いた後だったのではなかろうか、スマホの向こうから伝わってくる彼女の心は、とてもクリーンで美しく感じられた。
 
 
『あの後、お父さんの耳元で伝えたよ』
『お父さんが大好き。 と』
 
 
素直な心というのは、なぜこんなにも人の心を震わせるのだろう。
 
この別れ、死、というものが敗北なわけがないじゃないか!!
人は誰もがいつかは死ぬ。
 
無いところから生まれ、思い切り在ることを味わいつくしてまた無に戻るのだ。
終わりがない出会いならば、ここまで身を焦がすほどに愛を感じる機会もないのだから。
 
死とはある意味、人生最高級のクライマックスである気がしてならない。
 
彼女とお父さんが見せてくれたドラマは、私の死のイメージを塗り替えた。
人は生まれ、成長し、最盛期を迎えた後に衰え死んでいくわけではなく、死というクライマックスに向けてひたすらに登って行くプロセスに違いない。
 
 
亡くなったお父さんを見送りに 東京へ行った3日間、ありがたいことに親族の方々と一緒に過ごさせて頂いた。

まるでお父さんに『菜穂子さんよぉ、美妃たちを頼むぜ』と呼ばれたような気もした。
 
 
美妃は、いつものように全く普通に元気に笑い、時々ボロボロと泣いた。
 
まだお父さんの亡骸が実家にあったとき、美妃はあることでお母さんとぶつかり、お母さんにピシャリと言われてしまった。
 
ご飯の時間だというのに 不機嫌そうに、リビングを出ていったまま戻ってこない。
 
私は、気になり見に行くと、お父さんが寝ている部屋に閉じこもり泣いている。。。
 
 
『びぇぇぇぇぇぇ~~~~~~~~ん
 お゛~ぃ、お゛ぃおぃおぃおぃ、
 うわ゛~ん、わ゛ん、わん』
 
 
(笑)
(泣き過ぎだろー)
 
泣きじゃくる彼女は、まるで5才児の子供のようで強烈に可愛かった。 
 
お父さんとの2人3脚が始まってからというもの、美妃はたまにお父さんの無意識と繋がるような不思議な体験をするようになったという。 
 
『美妃、大丈夫だ。心配するな』
『おぃ、美妃。その辺でやめておけ』
 
そんな声が心の奥に浮かんできては、彼女を諭すんだそうな。
 
今まで、私に訴えるしか言えなかったお父さんの想いは、いまやストレートに彼女の意識に届くようになったのかもしれない。

 
全てのものごとには始まりがあり終わりがある。
 
彼女が日頃発信し続ける「無い世界」から「有る世界」が生まれる奇跡を知れば、全ての出来事は、堪能すべき美しい幻の映画である事がわかる。

 

お父さんが見せてくれた天晴な最期、親子が見せてくれた素敵なエンディングに向けて、私も今を素直に誠実に一生懸命生きていこうと思う。


パールハーバーにて

 
先週末、親友である長岡美妃のお父さんが亡くなった。
 
  
年末の検査で病状がはっきりしてからこの2ヶ月間、
Facebookに毎日のように投稿されていた生々しい親子の「自然療法の道」は傍から観ている私達のそれぞれの記憶とも重なり、誰もが固唾をのんで見守っていたように思う。
 
 
カタチとして治癒は成らなかった。
 
だけれども、彼女とお父さんとの関係性が見せてくれたものは、彼女が医師としてずっと求め続けてきた病や死についてのひとつの答えを示してくれていたように思える。
 
 
私も過去に、父と姉と夫を亡くしている。
 
 
その都度に感じた痛み・苦しみ・不安と重苦しさは、リアルタイムなその時だけでなく、人生全般を通して、見えない魔物のように私の心の裏に張り付いていた。
 
 
友人と父の二人が見せてくれた生き様と関係性は、
そんな暗くて重苦しいイメージを書き換えてくれた。
 
・・・ように思う。
 
 
もしからした他人ごとだったから、そんな風に都合よく感じるのか、私の身勝手な観方なのかもしれないけれど。。

これは、二人に贈る 友人としての立ち位置から見た彼女とお父さんとのもうひとつの物語である。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
 
私が初めて美妃のお父さんとお会いしたのは、4年半ほど前。

娘さんの留学先であるハワイ島に一緒に遊びに行った時のことだった。

サムライに憧れて、生まれてきた時代を間違えた!
と思っていた私が、ひと目で惚れ込んでしまった侍女子・長岡美妃。
 
その彼女を育てた父上に会える!
 
彼女から「大和魂の男」と聞いてたその方は、想像していたよりもずっと小柄で 気さくで、とても話しやすいお人柄だった。
 
歴史好き、サムライ好きが3人も揃えば否が応でも話は盛り上がる。
 
『菜穂子さんよぉ、こんな話、知ってるかぁ?』
 
まるで江戸っ子?と思わせるようなべらんめぇな口調で、楽しそうに色んな話を聞かせてくれる。

ハワイ島でのバケーション初日、私達は溶岩が固まって出来た海岸で岩盤浴をした。
太平洋を目の前にした灼熱の太陽の下、頭からバスタオルを日除けにかぶり、戦時中に奮闘した日本の話になった。
アロ~ハな南国の海岸で、まるで戦友の如くボロボロと涙する私達。
 
濃い・・笑
なるほど 彼女の純粋さ、熱さ、話好きはお父さんゆずりか(^^)。
 
10日間ほどのハワイ島の旅を過ごし、お父さんはかなりオープンで気前が良くて粋な人であることと、孫の空ちゃんにメロメロであることが判明する。
 
 
その後、何度となくお父さんとはお会いする機会があった。

美妃が海外研修や地方公演などで家を空ける時、二人でよく留守番をした。
娘ちゃんの卒業式のときもカメラマン 兼ドライバー 兼料理人 兼芸人として 家族に混じってまたハワイ島へ行った。
 
年末年始の年越しと初詣を一緒に過ごしたこともあった。
いつの間にか、私は長岡家に出没する謎の親戚のおばちゃんと化して行った・笑

その度に、私とお父さんは時間を忘れて話し込んだ。
若き日のお父さんの武勇伝に涙したり、家族の話、お母さんとの馴れ初め話、歴史の話、今読んでいる面白い本の話。
 
身振り 手振りを混ぜて 独特の口調でドラマチックに語ってくれるお父さんの話は、どれだけ聞いていても飽きなかった。

(いいなぁ、こんなお父さん。。美妃と合うはずだわ)

私の父は、シラフの時には真面目で寡黙な人だった。
会話、、などした覚えがほとんどない。

いや、、父がまだ生きていた頃は、私がまだ父の相手ができるほど大人でなかったのかもしれない。

私は、自分の父とは持ったことのない時間を 代わりに楽しませて貰っているかのように、美妃のお父さんが福岡に来る時を楽しみにするようになった。
 
美妃は『二人は親友』と からかって喜んでいた。
 
 
 
私がお父さんから聞いたエピソードの中でものすごく印象的な話がある。
 
まだ美妃が小学生だったころ、プールの飛び込みが出来なかったらしく、
それを聞いてお父さんは なんと会社に休みを取って 娘の飛び込みの練習に付き合ったのだそうだ。
  
『えー、平日、会社を休んだんですか?』
 
『おぅ、仕事なんてなぁどうにだってできるもんだぁ。 俺にとっては、そっちの方が断然大事だったぜ』
 
建設業界の大手で、昭和の高度成長期を支えてきたやり手であったと聞いていた。平日に家庭の用事のために休みを取るなど、当時としてはかなり珍しかったのではないか。さすが、我が信念を生きる人。
 
 
ある時、お父さんがぽつりと呟いた事があった。
 
『なぁ、菜穂子さんよぉ、ウチの子になっちゃえよ』
『はぁ?? なんですかぁそれ あはは笑』
 
すこーし寂しそうな照れくさそうな表情で、頭をかきながらお父さんはベランダにタバコを吸いに行った。
 
ウチの子って、、、わたし50過ぎのいい大人なんですが・・(笑)
 
今、あの時のことをなんとなく思う。
お父さんは本当はもっと娘と一緒に話しをしたかったのだろうなぁと。
 
美妃は、講演や研修にいつも忙しかった。
東京から福岡まで飛行機に乗ってわざわざ娘の留守を応援するためにやって来るのに、彼女が帰ってくれば、そんなに長居する理由もないのか、帰ってしまう事が多かったから。
 
 
これは、彼女のお母さんも同じだった。
要するに彼女は姫気質というやつで、自由に動き回っても、なぜか周りの人が色々と手伝ってくれてしまう幸運・強運の持ち主なのだった。
 
姫はやがてその名の通りに「妃」となり、更にチカラを増すのであった!笑
 
お父さんは、時々『美妃が菜穗子さんの上に居るように見せかけて、実際は逆だろ』そんな事を言って、私を自尊心をくすぐってくる。
 
ですよね? ですよねぇぇぇ?
いやぁ、そんな事を認めたら、後ろからメスが飛んで来そうだけれども(汗)
 
 
 
そんなお父さんは しかし、私と顔を合わせるときは、会う度、会う度、気の強い娘には言えないお説教を 私にするところから始まるのだった。
 
『俺は、アイツの訴えてることが、難しくてよく分からねぇんだ。』
 
『「分からないのはお父さんが受け取ろうとしないからだ」と来やがる。 本当にそうか? 難しそうに言って高尚そうにしてるだけじゃねーのか?』
 
本人ではない私は、聞く以外にどうにもできない。
私にとってこの時間だけがいつも少し苦しかった。
 
ひとしきり言いたいことを言い放てば、いつも通りの粋で太っ腹なお父さんに戻って娘を迎えるのだった。 
 
 
 
ただ今でも思い出すと分からない 不思議なことがあった。

いつものように娘に対するお説教が少々くどく、私の癇に障り 言い返したときのこと。

『お父さん、、、長生きしてください』
『どういう意味だ』
『あなたの娘は思うほどに馬鹿じゃありません。美妃がちゃんとやり切る所を見届けて欲しいという意味です』


お父さんは腕を組み、しばらく黙って考えた後、
『よし、2年だ。あと2年だけ待ってやる』
そういうと、
『俺も、なかなか話の分かる男だろ?』
と言って いつものようにニコリと笑った。 


あれは、今からちょうど2年前のバレンタインの時期だった。
あの時、何を思ってお父さんは2年と言ったのだろう。

その2へ続く

光の届かない地中の奥深くに岩石を食べて生きる生物が居るという。
  
最新のコンピューターよりも早く複雑な迷路の出口を探し当てる「菌」が居るという。

中国には、3ヶ月もかけて米粒に絵を描く絵かきが居るという。

周りを見回すと、世界は「何それ?」の塊だ。
 
この驚きの「何それ?の塊」は、137億年前に「特異点」と呼ばれるたった1つの点から生まれた、と言われている。

まず最初に1の点から2つの陰と陽に分かれ、4つ、8つ、16、32

これらを64回ほど繰り返すと

18,446,744,073,709,551,616 という、

もはや、何と読んでいいのか分からない20桁の数値になるんだそうな。

この数字は、現在家庭で使われているスマホやパソコンの表現可能な性能の値。

これだけ種類の電気のOn/Offで、音楽や、文字、画像・映像なんかを創り出している。


その あり得ないくらいの「差」を生む 陰と陽の分裂が 

たった1個の灼熱の光の点から生まれているという不思議。。
 
 
迷路を解く その菌は、別に迷路を解くためにこの世に生まれ出たわけではなかろうに。

ネバネバとした、その奇妙な菌は、なぜ、なんの目的で
この世に存在してきたのだろう?

岩石を食べる生き物は、ただ岩を食らい、生きて、死に、
今まで誰かに発見されることもなく 
誰にも認められず、褒められもせず、
 
何がうれしくて、それをやってるの?
 
 

宇宙がまだ、ただの1個の点だったとき、

岩の硬さも分からず、
嬉しい とは何かも知らず、
生きたり、死んだりする概念さえもなく、


ただ、ただ、点でしかなかった。


その点は、想像もつかないスピードで
拡がり分かれて「違い」を生み続け、


目的不明なモノたちを じゃんじゃんと創りだしていった。
 
 
もしも、宇宙に、太陽と火星がぽつんとあっただけなら、
あんまり楽しそうな宇宙じゃなさそうだ。


輪っかのある土星があると、少しいい感じ。

青い地球があると、更に素敵な感じ。


そこをズームアップしてみると・・


茶色い砂の大地があるだけだったら、あんまり面白く無さそうだ。


そこにちょろちょろと動く何かが居ると、少しだけ面白そうだ。


シマシマの動くモノが居たり、
鼻の長いモノが居ると、ほぉほぉ、
なかなか面白くなってきたじゃないか。


立って歩くモノは、
言葉を喋り、作業をして
茶色い大地を全く違う様子に
作り変えてしまったりする。


こいつは、ますます面白いな。



さらによく見ると、似たような形に見えて、
髪の色や肌の色、
大きさや形が違う。

動きや、発する音や、
何ひとつとして同じモノが無いのが分かる。


もしも、この青い星に
黄色い人間しか居なかったら・・


もしも、この星の白い肌の生き物が
皆、同じ形の顔と、同じ性能だったら・・
きっと3日もせずに飽きてしまうよ。

 
陽が昇ると、首に細い布を巻いて
一斉に表に出てくる者たちは、
行き先が違って、やることも違ってたりする。


黄色い帽子を被って出てくる小さいモノ達や、
茶色い着物を着て、道端を掃いている萎れた者。
  
色んな色んなモノ達がいる。
 
 
そのうちに、この立って歩くモノ達は、
何の意味があって存在してるのかも分からなかった
岩を食らう生物を見つけ出し、
 
「うわぁ、面白い」
という意味を存在させる事に成功した。

さらに別の者は、この生き物に
「嫌っだぁー、気持ち悪い!」という意味を
生み出す事にも成功する。


たった1個の点は、そんな無限の 
たくさんの たくさんの違いを生み出し、
今、137億年もの長い時間、
飽きる事なく続いている。


短い首と、跳ねるえりあし。
くるぶしの分からない足首を持つ私は、
3日で飽きない宇宙を形成するための
唯一無二の不可欠な存在。。
 
 
誰にも真似できまい。ムハハハ。。
これでいいのだぁ。

  
存在は、存在するだけで、素晴らしい。

そして「意味」という遊び道具を持つ
人間は、生物歴史上最強に面白い。

凄いわぁ。宇宙って。