去年の春以来、1年ぶりの墓参りは、
下関長府にある功山寺という寺へ。

ここは高杉晋作が騎兵隊を決起した言われる場所。
毛利家の墓や明治維新で活躍した要人の墓が
いくつもあるこの場所に私の先祖が眠っている。


『あんたは、とても偉いひい爺さんから名前を貰っているんだよ』
小さい頃、耳にタコが出来るくらい母によく言われていた。


どんだけ偉い人なのか、その価値が分かるのに実に40年以上も掛かってしまった。

幕末生まれの曽祖父は、長州の支藩である長府藩士出身で
後に日露戦争の陸軍大将になった乃木希典将軍とは
親友の仲であったという。


乃木さんと共に西南戦争を戦い、
明治政府になってからは、戦には行かず
明治天皇を守護する役に就いていた。


寺のそばにある乃木神社の博物館には、
乃木大将から私の曽祖父に宛てた手紙が
何通か展示されている。


数少なく残っている曽祖父の写真を見ると、
当時の凛とした日本人の姿がそこにあり、
名前を頂いているということが
恥ずかしく、申し訳なくさえ感じてしまう。
※曽祖父の名は忠直(ただなお)


日本が大きく変化した時代、
昭和天皇を育て、明治天皇の崩御のときに自決した乃木将軍。
明治天皇を護っていた曽祖父。


今回の墓参りは、元号も変わったこともあり
いつもと違う心持ちでお参りをしてきました。

 

 

少し足を伸ばして周ってきた萩では、
城下町らしい日本の美しさもさることながら、

そこで一番強く感じたものは、
吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文と言った
今の日本を創った「志」そのもの。


吉田松陰も若い頃に教鞭を取っていたという藩校「明倫館」で解説員の方の話が印象的だった。

『藩校では、徳川幕府が推し進める儒学・朱子学教育が主流でした。

しかし生徒たちは、その授業が理屈ばかりで退屈でしかたがなかったのです。

もっと実践的、現実的な学問が習いたかった若者達は、

当時長州にはたくさんあった「私塾」に行き、実用的な学問を積極的に学んで時代を変えて行ったのです』


親や先生や世間が正しいと教える事に
心が踊らず、自由な魂のアンテナを道しるべに
新しい時代を築いて行った若者たち。

 

日本の未来のために、自らサムライ文化を終わらせる潔さ。

好奇心
情熱
気高き誇り

 

史跡を巡る間じゅう、私の心の奥は
ズキンズキンと疼きを覚えるのでした。

 

 

陸軍少将 内田忠直

 

 

乃木神社内にある博物館に展示されている乃木将軍から曽祖父への手紙。
乃木さんのお母様の法事を戦争で負傷している乃木さんに代わりに取り仕切って欲しい旨を伝える内容の手紙などもあり、二人の親密な関係性が伺える。

 

 

草ボーボーだったお墓が友人親子のお手伝いもありきれいになりました。

ありがとう~

 

桂小五郎! ずっと来たいと思っていたところ。やっと来れました。

 

松下村塾