ここ何日か、自分の存在が危うい。

数日前、ルームメイトのみえぽんが興奮げに私に訴えてきた。


『全ては、脳の中で造られているだけじゃん!そこのストーブもないし、なおちゃんは居ないよ!!』 


私たちは「認識技術」(科学的に真理を理解・応用する技術)を学ぶ仲間で、毎日のようにこんな会話を繰り広げているのだが、この日の彼女はちょいと、いつも以上に興奮していた。


その直接的なキッカケとなったのは、YOUTUBE TEDのジェフ・リーバーマンさんの動画。


私のお気に入りの動画で、何日か前に彼女に紹介したものを何度も何度も食い入るように見たのだらしい。


彼は、所謂「覚醒してしまった人」なのだが、
マサチューセッツ工科大学卒の彼は見事な論理展開で「悟り」の状態が誰にとっても特別なものではない事を、分かり易く、たった15分で軽く実験を交えてつつ見せてくれる。


そして彼が主張する、その状態を共有した人々が作る素晴らしい社会のイメージに感動せずには居られない。


彼の話している内容は、既に学んでいる事であり、特別に新しい事実を聞いたわけではなかったのだが、違う人がする違った表現を 違った確度から聞く事で、ひょん!と理解感覚が深まることがある。


友人がヒットしたのは、その動画の中で彼が発したひと言だった。


『この赤い服の「赤」は存在しません』


赤い色は、服に反射する光を、脳の中でまるで赤っぽくあるように感じるだけであり絶対的な「赤」などどこにもないと。


そんな事は、既に100も承知のはずの彼女の頭の中で何かが弾けたらしく、さきの『なおちゃんは居ない!!』の状態になったようだ。



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しかし、その数日後、その彼女が今度は若干不機嫌そうに違うことを訴えてきた。


『脳の中にしか現実がなく、外には何もないのは分かったけれど、脳を持つ自分が一人ポツンと絶対的に居る!!』と。


なるほど。


そこから二人の問答が始まった。


「私が居ないのなら、私の手が触るみえぽんの手も無いんじゃない?」

「手がないなら、首もない、目玉もなくない?」

「そーだけど、それを認識する私の脳が絶対的に在るよね」

「そーだね。。脳のどこで感じているのかな?」

「網膜に映る映像は、どこで感じてるのだ?」

「目を閉じて浮かぶ映像は、網膜にさえ映っていない。それはどこにある?そしてそれを誰が見ているのだ?」

見えている映像、聞こえている音、感じている感覚、受け取っている何か。

認識される「自分の外側」と、認識する内側の境界線をつぶさに確かめていくうちに、理屈上どう考えても「私は点」になってしまうしかなかった。


ヤバイ、私の実体がない・・。


そうは言っても、実際に「点の私」になぞ感覚的になることはなく、チョコレートを沢山食べて肥えた私がやっぱり居る。


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そんなこんながあっての、友人 長岡 美妃 (Miki Nagaoka) のいつぞやの投稿をたまたま目にする。。。


『「私って誰?」 実在する自分はどこにも居ない』


彼女も動画のジェフさんのように、理論的理解と意識の訓練を経て、覚醒を体験してしまっているのだが、最近の彼女の投稿は以前にも増してヤバさを増している。


彼女は言い切った。私たちは「イメージ」でしかない。。と。


彼女の投稿を読みながら、私は自分の姿がモヤモヤと 輪郭が溶け始めるのを感じた。


ツブツブになって、粉になって、存在が・・・消えかかりそうだった。


自分も、あの人も、それも、あれも、


「自分の脳」「他人の脳」という精密な現実投影器で、カタチづけられてるだけモヤモヤ。


「自分の脳」「他人の脳」という精巧なるエネルギー受信変換機が、意味ありげな個人の思考・感情・主張のように見せかけるだけの本来は色も形もないモヤモヤ


私達の正体、私達の住む世界は、はそんな「モヤモヤ」


それでも「私」という感覚は残る。


起きていて、外を観じる「私」は残る。


それらを「私」として主観する大元は、理屈上、もはや点でしかないというのに。


しかも、点なんて概念でしかないし!(><)


いよいよ、全ては無くなってしまうではないか。



要するに・・・・・


全ては無いというしかない。


神・・さえも。


何もないところから、意味・価値・カタチを産み出す、この不思議さ。

何もないのに「私が居る感覚」を持てる素晴らしさ。

全てを産み出す「決めつける」という事のチカラ!凄さ!



宇宙とは、なんと奇跡な夢なのだろう。



お釈迦様が説いた「色即是空」の世界を誰もが共有できる時代の到来を感じます。